このくらいがいいなあ。
そう思っていたはずの距離が、最近なんだかひどく寂しい。ふいに指先が触れるくらいの、あと数センチの距離。
冬のせいだろうか、と思ってみる。人肌が恋しくなる季節なのだと、考えてみたり。
外気で冷えきった指先は、かじかんでいる。確かに、ぬくもりを求めたくなる季節なのかもしれない。刺すような北風が、無防備な頬を容赦なく貫いた。
ぐるぐるに巻いたマフラーに頬を隠そうと、少しだけ首をすくめてみる。歩きづらくなっただけで、あまり効果はなかった。
「さむいの?」
かけられた声に驚いて顔をあげる。考えごとに気をとられて、すっかり忘れていた。わざわざ同じペースで歩いてくれているというのに。
「ん、ちょっとね」
立ち止まって、こちらをしっかりと見つめてくるその目は、暖かいと錯覚するほどに優しい。嬉しさでゆるんだ口許は、そっとマフラーに隠した。
「冬だからねえ」
なんだか的はずれにも思える君の発言を、ひどく愛しいものに思う。でもそれだけでは足りないように思う自分もいて、これも冬のせいかと首を傾げる。
それは、違う、かな。
別にそれでもいいのだけど、冬のせいにしてしまったら、暖かくなると共にこの気持ちは消えてしまう。違う、というよりはなんとなく嫌だった。
「冬だからかあ」
「そうだよ」
まぬけな返答には、笑顔が返ってきた。ふわっとした笑顔にきゅんとしちゃうあたりは、なんというか、年頃ということで。
「て」
またふいに、君が声をかける。何ごとかと思って聞き返すと、何も言わずに目の前に手を差し出された。
はたしてこれはどういうことか。きちんと手入れをしてある繊細そうな指先や爪に、たじろぐと共に少し見とれる。そうする他なく棒立ちでいると、君は急にむくれてみせた。
「いや?」
胸の辺りまであげていた手を、そっとおろす。そうして、指先で、指先にだけ、触れた。
息を飲む。君の気遣いに気付いて、はっとした。触れるか触れないか。そのくらいの距離がいい。確かに君にそう言った。
君を、傷つけただろうか。上目遣いにうかがい見ると、視線がぶつかってしまう。すぐに反らされた目が、心を刺すようだった。こんなことでも痛みを負うのなら、君に負わせた傷は、どれほどだろうか。考えることが、少し怖い。
触れたままの指先が、暖かく、沁みた。
「つないでいい、かな」
まさに意を決して。という感じだったはずなのだけれど、声は思ったよりはっきりしない。
ひとりごとに、なってしまっただろうか。
不安の混じった期待は、ぬるくまとわりつく。あまりいいものではなかったけれど、結果オーライ。君に届いていたならよしとしよう。
君の伏せられていた目は見開かれ、指先がそっと絡み合って、君の手は少し冷たかった。
「ん、いいよ」
絡んだ指をほどいて、君の手を握る。きっとこのために、君は手を差し出してくれたのだろう。
心地よかった。奪われていく熱も、伝わってくるひんやりも。それが混じりあった手のひらも。
「どう? 触れあえるこの距離は」
「すき。あったかいし」
「そっか」
頬をゆるませた君はもう、ほんとに、効果はばつぐんだ、ってやつ。高鳴る心臓は頬を染め、体温を上昇させるから、きっと君にも伝わるだろう。
こればっかりはどうしようもないなあ。なんて。あきらめて、むしろ開きなおってもう一度。好きだなあっとつぶやいてみた。ら。なぜだか暖かさの増した手のひらが、いっそう強く握られた。
あ、照れてる。
お互いに気付いたからこそ、何も言わずに体温を共有する。ちゃかしたりは、しないよ。嬉しくて、照れてるのは一緒だ。一緒、なんて言葉がまた、くすぐったくって、苦しくなった。
切ないってきっとこういうこと。これが冬かなとひとりで納得しようとして、違うといいなあ、が結論だった。
「……春になっても」
「うん?」
「こうしていて、いいだろうか」
まっすぐに視線をあわせて、きゅんとする笑顔で頷いてくれた君の目が、何によってそんなにきらめいたのか。それはこの際考えないことにしよう。だって、そんな思考はあまりにも、この場に似つかわしくない。
ただ素直に受け取ればいい。何を、と聞かれてしまうと答えにくいけれど。
――寝癖でふわふわになった髪を撫でつけられる感覚。
ちょっと、押しつけすぎだって。口許だけでそう言って、目を開ける。間近に君の優しい笑顔が表れて、ときめいた。
「ね、昔の夢を見たよ」
「昔って、いつごろ?」
「うん、一世紀くらいは前かなあ」
ふざけた返答にも、とびきりの笑顔で答えてくれる。相変わらずその笑顔にきゅんとしちゃうのは、なんというか、年頃だからじゃなくて、君だからだった。認めてしまえば、あたりまえのこと。
「そんなこともあるよ、冬だからね」
君のよくわからない根拠の発言に、なんだかひどく安心させられた。君の言うことはいつもそう。的はずれにも思える、そして大抵は的を見てすらいない、君の言葉。そう言えば。一世紀前の君も、同じことを言っていた。
君は、一世紀たっても変わらないんだね。
言ってみようと思ったけど、そんなこともなくって、やめた。変わり続けているから、同じように思えるだけなのかもしれない。
それに、変わらないと思えるのは、君だけじゃなくて、君との関係そのものだった。でも、きっと、そんなこと。すぐにどうだってよくなる。今だって、別に気にしているわけじゃない。
だって、君に触れた指先が暖かくて、それだけで十分だったから。
<了>