旗を立て、日の出を待った。
 恐ろしく冷える夜を越えて、私は絶好の場所に腰を下ろした。ここは見渡す限り砂で覆い尽くされており、付近には集落もキャラバン隊の通り道も無い。人に出くわす可能性は実に低いと思われる。
 だから、ここを選んだ。

 未だ夜の世界だけあって、日中は嫌という程存在を主張してくる大地の小麦色は、その形を闇の内に潜めている。まるで未知の世界を訪れたようで、微かな胸の高鳴りを覚えた。

 

 どういうわけか突然、独りで夜明けを見てみたいと思い立ったのだ。この砂ばかりの単調な世界で、大いなる光が暗闇を押し退け、燦然と輝き始める様を。


 傍らで粗末な棒に巻きつけられた旗が項垂れている。旗は酷く劣化しており、色褪せも傷み具合も相当だったが、特に気に留めず持ち出してきた。
 太陽に私の位置を知らせるには十分と踏んだためだ。

 

 日が昇る様を瞼の裏に描く。
 地平線から至極ゆっくりと光の粒が零れ出て、やがてそれらは幾重にも重なる波となり、万物を照らさんと大地に押し寄せる。大地は時の経過と共に光に呑まれ、そうして朝の世界が再誕する。
 私は瞼をそのままに息を殺して時を待つことにした。


 手中の古びた懐中時計が時を刻む。夜明けの数刻前。白む地平線。僅かに鼻腔を擽る砂の匂い。かさつく肌。不意に吹き付ける渇いた風。風を受け靡く旗の音。


 どれだけの時が過ぎただろう。時間の感覚が曖昧になりかけた頃、瞼の向こうがじわりと明るみ出した。
 だが、どうやら今朝は風が強いらしい。無数の砂粒どもが顔を叩きつけてくるため、瞼を開けることが躊躇われる。耳元をかすめる風の音がうるさい。瞼越しに朝日を感じることはできるのに、瞼を開くことのできぬもどかしさに焦らされながら、それでも尚と、じっと風が止むのを待った。

 

 汗が滲み始めた頃、ようやく風が弱まる気配がした。溜息を吐きながらそっと瞼を開ける。太陽は既に半分程その身を露出させており、周囲を仄かに照らしていた。
 肌に張り付いた砂埃を払いのけようと視線を下げたところで、私は、はっと息を呑んだ。

 辺り一面に広がる風と砂の芸術。海にできる波紋のように規則的且つ優美な無数の曲線が、私を取り囲むように描かれていたのだ。
 本物の波のように見えるが、紋は決して身じろぐことはない。当然だ。それらは流動する水面ではなく、不動の大地の上にしっかりと描かれているのだから。
 風の遺留品は見事なまでに刹那的で、だからこそ、美しかった。永遠にあり続ける存在より、恐らく時の経過と共にその姿を失うだろう砂上の波紋の方が、遥かに私の心を強く惹きつけていた。


 あれ程焦がれていた眩い光から視線を逸らし、風の軌跡を食い入るように見つめる。等間隔で刻まれた紋から目を離すことができないまま、時間だけが悠々と過ぎ去っていった。どれほど時が経とうとも、それらが形を変えることはない。しかし明日再びここを訪れたとしても、同じ紋に出会うことないだろう。
 ならば、これらはいつ消え失せるのだろうか?
 私はいつまでここに居座っているのだろうか?

 ふと、風の行方が気に掛かった。あの風は今どこで、どんな形の紋様を刻んでいるのだろう。私の元にこれ程までに壮麗な遺産を遺していったのだから、きっとまた素晴らしい軌跡を描いているに違いない。
 私はすっかり日の昇った砂漠を一望した後、飛ばされた旗に気付かぬままそこを後にした。

 風はどこへ向かったのだろう。灼熱の塊に背を向け、熱砂に遺された波紋を辿って、ひたすらに歩を進める。砂に足どりを阻まれようと、滝のような汗が肌を伝い落ちようと、私は砂の大地を進み続けることを決心した。
 風紋は、未だ大地に息づいていた。

 

<了>

 

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