奇病、と言えばいいのだろうか。

 

「困ったわァ、そんな症状は聞いた事も無いし」

 

 目の前でヒゲの生えた頬に手を当て、憂い顔をする筋肉の化け物が居る。

 隆々とした上腕二頭筋、及び三頭筋、大きく胸元の開いた洋服から覗く逞しき大胸筋。

 

「精神的に参ってるのかしら、何かそういうトラウマとかあるの?」

 

 先程から筋肉超人が野太い声(恐らく声帯すら鍛えている)で、女性言葉を使っているが、この人は決して新宿二丁目で大人気というような人ではない。

むしろその逆、この俺の通っている学校一の美女と評判の保健の先生だ。

 

「熱……、無いわよね」

 

 俺の額に先生の額が接触する。

 嗚呼、これはいつもの光景ならば発熱と動悸、激しい血流のうねりを感じずには

いられないドリームシチュエーションであったはず。

 

 しかし眼前には、鋭い眼光を光らせたヒゲ面の笑顔。

 額と額を付け合う恋人同士のそれでない、これはヘッドバッドの下準備のそれである。

 確かに、別の意味での悪寒と動悸、激しい血流のうねりを感じずにはいられないデンジャラスゾーン。

 

「うーん、解らないわぁ、なんで突然『女性が全員マッチョな男に見える』なんて事になったのかしら」

 

 そう、俺はこの奇病によって、今朝目覚めてから女性らしき存在全てがマッチョにしか見えなかった。

 まず今朝、俺を起こしたのは壮年のマッスル(母親である)だった。

 面食らっていると、そのマッスルが玄関先で父にキスをしたので最悪のジョークにしか思えなかったし、朝のニュース番組の人気コーナー「なっちの今日のお天気」の、人気お天気お姉さんナツミさんが、まさかの体脂肪一桁台な肉体で、明るく全国の天気を知らせた時は驚いた。

 

 この時はまた、これが凡人である俺を対象にした、ドッキリ計画なのだと信じていたが、朝に学校に来た時、クラスの半分をセーラー服をまとったボディビルダー達が埋め尽くしていたのを見て、俺はドッキリという現実を諦めて、卒倒した。

 その結果、こうして保健の先生のカウンセリングを受けているが、いよいよもって、これがドッキリでなく、史上最悪の奇病である事が判明しつつあった。

 

「先生……、俺、帰ります」

 

 元気なく言うと、残念そうな顔をして筋肉美人が優しく慰めの言葉をかけてくれる。

 先生、貴方の言葉は今、人一人殺せそうな程力強いです。

 

「たっくん! 大丈夫!?」

 

 保健室を出た俺に、アメフトの選手のような巨漢がタックルをかましてきた。

 ヘルプ、俺の心がタッチダウンしそうだ。

 

「たっくん、たっくん」

 

 分厚い唇で喚き叫ぶ、可愛らしいリボン付き三つ編みのアメフト選手は、俺の幼馴染のヒロミだろう。

 ヒロミよ、何故お前はせめて明らかに女性と解る名前じゃ無かったんだ。

 いつもは好きな名前だったが、今はアメリカのスーパーボウル出場をかけて努力する日本人選手のようで、なんとも言えない気分にさせてくれる。

 

「ね、たっくん、早退するなら一緒に帰ろ」

 

 可愛い事言ってくれるじゃねぇか。

 二つに割れた顎でシュワちゃんも倒せそうな容姿の癖に(チクショウ、本当はこいつの事好きだったのに)

 いつもは子供みたいにはしゃいで、俺の事を不必要に構ってくれやがって、あの頃のお前は、ふわふわと三つ編みをなびかせて(一応今もだが)笑っていた可憐な乙女だったはずだ。

 

「たっくん?」

 

 筋肉質な声によって、俺は現実にアイルビーバック。

 

 

「そうれ!」

 

 校庭では女子テニス部らしき一団が、華やかにテニスボールを打ち合いしている。

 だが今の俺には、女子テニスじゃなくて砲丸投げとかに見えてしまう。

 

「きゃっ! 風よ!」

 

 突如吹いた風によって、砲丸投げ部の女子らしき生徒のスカートが捲りあがる。

 覗いたのは、ひらひらのフリルの付いたアンダースコートと引き締まった大殿筋と大腿二頭筋。

 

「やだ! アイツ今見てた! 変態よ!」

 

 数人の女子らしき生徒が俺の方を指差してきた。

 そうだろう、あんな筋骨隆々のアンスコチラリを好き好んで拝んでしまうのは、十分変態だ。

 

「変態だって、ふふ、たっくんエッチだもんね」

 

 隣でゲラゲラ笑うヒロミがいとおしい。いと、惜しい。人間として。

 いつまでもこの調子で、ヒロミに乙女チックに振舞われては、精神が崩壊しかけないので、俺は帰りの道中で、今の俺がどういう状況なのかを説明する事にした。

 

「え……、じゃあ今、たっくんに私はどういう風に見えてるの?」

 

「ブロック・レスナー」

 

「誰?」

 

「外国人のプロレスラー」

 

「酷い!」

 

 憤慨して俺の事をポカポカと叩き出すヒロミ。

 やめてください。死にます。

 

「で、でも……、もしその病気が治らなかったら……、たっくんはどうするの?」

 

「筋肉だけの世界で生きていくのか……。それは、苦行だな。そうなったら俺は、即身仏にでもなるよ。衆生を救おう」

 

 南無南無、片手だけで前方に拝む。ああ、観音様よもう一度。

 何故、私の世界は仁王金剛だけなのですか。

 

「駄目だよ! それって……、たっくんが居なくなっちゃうって事でしょ」

 

 涙を流しそうになるヒロミだが、その表情は男泣きの世界って感じ。男の世界。

 

「そんなの私は嫌……! お願い、きっと治す手段があるはずだよ! 負けないで!」

 

「ヒロミ……」

 

 負けないで、なんて力強い言葉なんだろう。いつものヒロミの口癖だったはずなのに、今聞くと、まるで全戦無敗のチャンピオンに勇気付けられているようだ。

 未だ迷いはある物の、女性という人類の半数を占めるはずの存在を取り戻す為、諦めないで考えようと、俺はそう思えた。

 

 

「あ、もう家着いたね」

 

 様々な事を考えている内に(殆どが肉体の神秘についてだったが)、いつの間にか俺の家の前に到着していた。

 

 俺の家は平凡なる三十年ローンの一戸建て。父さん、頑張りましたね。

 

 今、貴方の妻は筋肉になっているというのに。

 

「そうだ、たっくん、今日私の家に来ない?」

 

 ヒロミが誘い、俺の家のすぐ隣を指し示す。

 ヒロミの家は俺の一軒隣の家。

 隣ではあるが、ヒロミが指差した方向には延々と続く塀がある。ざっと三百メートル程向こうに、やっと一軒隣のヒロミの家がある。

 この広い敷地が全てヒロミの家。ヒロミはいわゆる富豪のお嬢様なのだった。

 

 おっと、俺は例えヒロミが貧乏でも同じように接するぜ。

 なんて言ったって現状が筋肉娘なんだから、元のヒロミで居てさえくれれば、どんな状況でも構わない。

 

「美味しいクッキーもあるよ」

 

 にこやかにクッキーとか言ってくれるヒロミ。ボリボリ食べるのだろうな。

 

「解った、少しだけお邪魔するよ」

 

 俺の言葉に小躍りしてはしゃぐヒロミ。躍動するは筋肉。

 

 相当しばらくして、ヒロミの家の前に着いた頃、ヒロミの家のメイド達が一同に介して出迎える。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 勿論、全てが筋肉メイド隊。

 何度か見ているが、彼女達の一糸乱れぬ立ち居振る舞いは、まさに立ち並ぶ、ギリシア彫刻。

 ただし、以前に置いてあったはずのビーナス、アテネ、ニケ、ニンフ達の彫像が、今はヘラクレス、ポセイドン、アレクサンドロスやスパルタカスに模様替えされている。

 

「あら、タクヤ様、ようこそお越し下さいました」

 

 声をかけてくれた黒髪ロングのメイドは、顔がブルータスのようになっている物の、恐らく一番気立ての良かった(過去形にしちゃ悪いか)、サチエさんだろう。

 

「クッキー用意しといて、サッチャー」

 

「はい、かしこまりました」

 

 ヒロミはサチエさんの事をサッチャーと呼ぶ。かつてはサッちゃんと呼んでいたのが訛ったようだ。なるほど、普段は物静かさで鉄のようだったが、今はまさしく肉体的に鉄の女。

 豪快な足音を残してサチエさんは歩いていく。

 いやいや、鉄程度じゃ失礼だ。超合金の女と言ってもいい。

 

「ふふ、たっくんと遊ぶのも久しぶりだな」

 

 可愛い事言ってくれるじゃないの。兄貴と呼ばせてくれ。

 そして兄貴が俺を引っ張って、自分の部屋に連れて行こうとした時、前方にある扉が開いて、メイド服の小柄な生物が現れた。

 

「あ、お嬢様、お洗濯終わりましたよ」

 

 俺は言葉を失った。

 その生物は、今日十時間程見ていなかった女性という生き物だったからだ。

 その栗色の髪に大きな瞳、小さな口元と少しばかりそばかすが乗った頬、胸は大きくないが、確かに存在する事を目で確かめられる。

 

 信じられないが、それは間違いなく女性なのだ。

 女性だ。女だ。女の子。少女、乙女、セニョリータ!

 

「あ……」

 

 我が世界の絶滅危惧種、女性という名の最重要保護生物は、俺の方を見て目を丸くした。続いて、何か焦ったように手を動かして顔を隠す。

 殺気。

 殺気を感じた。俺の背後からだ。

 

「馬鹿! ちょっと隠れて! バレちゃうでしょ!」

 

 様子を見ていた筋肉メイド隊が即座に駆けつけ、その女性メイドを連れ去ろうと捕まえる。

 

「え、バレ……? なんだって」

 

「うひゃあ、そんな御免なさい、ドッキリの日にち間違えてて、私……」

 

 相当焦っているのか、筋肉メイドに簀巻きにされかけている女性メイドが口早に叫んだ。

 毒霧の聞き間違いなら無問題。俺はプロレス好きだしな。だが

 

「なぁ、今ドッキリとか言わなかったか?」

 

「さ、さぁ?」

 

 背後に向き直ると、片方の目で殺気を放ち、片方の目で狼狽するヒロミの姿があった。

 

「ドッキリって言ったよな」

 

「お嬢様ぁ……」

 

 簀巻きにされ、筋肉達に担ぎ上げられて退場していく女性メイドが情けない声をあげる。

 おお、あれこそ筋肉神輿。わっしょいわっしょい。

 

「なぁ君、正直に言ってくれたら、俺からヒロミに許すように言うよ」

 

「は、はいぃ! 私、今日がお嬢様のタクヤさんドッキリ計画の日だって忘れてて、皆さんが温泉旅行に行ってるのに、つい普通に働いちゃってましたァ!」

 

「ハァァァッッナァァッ!!!」

 

 咆吼が空気を震わせた。

 筋肉達が一斉に動きを止め、女性メイドは身を竦める。

 俺はそんな事は意に介さず、あの子の名がハナという事を知って満足。可憐な名だ。

 だがそんな事を思っていてはいけない。事の真実をヒロミ(らしき筋肉)に尋ねてみよう。

 

「なぁ、ヒロミ。どういう事なんだ。俺へのドッキリ計画ってなんなんだよ?」

 

「そ、それはぁ……」

 

 言葉に詰まり、三つ編みを弄び始めやがった。

 

「言わないと俺、お前と絶交するぞ」

 

 その言葉に表情を凍りつかせ、ヒロミ(らしき筋肉)は涙を流し始め、とつとつと事の次第を語り始めた。

 

 

「じゃあなんだ、おい。今日、俺が見た全部、全部が全部、お前が用意した全国五百万人の筋肉さん達だったって言うのか?」

 

「はい……」

 

 俺の目の前でちょこんと正座するヒロミ(らしき筋肉)

 

「美人と評判の保健の先生も」

 

「はい、本職は現役アマレスの選手の方に変わって貰いました」

 

「道行く時にすれ違った奴らも」

 

「はい、たっくんの通学路を封鎖して、その場で用意した筋肉さん方を」

 

「クラスを埋め尽くした女子生徒も」

 

「はい、各大学のボディビル部の学生さん達です」

 

「朝のお天気お姉さんのナツミさんも」

 

「はい、テレビ局に圧力かけて、今日限りのドッキリという事で」

 

「メイドさん達も」

 

「はい、お休みを与えて、ボディガードの方達に役目を代わって貰いました」

 

「俺の母さんも」

 

「はい、たっくんのご両親に予め伝えて変わって貰いました」

 

 って事は父さんは知ってて、あの筋肉マザーとキスしたのか。アンタ、凄ぇぜ。

 

「消えた女性達は?」

 

「協力して下さった皆さんに謝礼金と、温泉旅行等を贈り一時的に居なくなって貰いました……」

 

 一体いくら使ったというのだ。これだから富豪のお嬢様というのは困る。

 

「莫大な金を持て余して、最高に悪趣味なドッキリを敢行したってのか? 一体、何の為にこんな事をしたんだよ! 俺を笑う為か!?」

 

 俺にしては珍しく、ストレートに怒りを表現した。

 ストレートすぎたのだろうか、目の前の筋肉ヒロミは目に涙を溜めている。

 

「た、たっくんは……、美女と野獣って知ってる?」

 

「一応は」

 

「あれって……、良い話だよね。野獣になっても、お姫様は王子様の心の美しさを見てたの」

 

「おい、まさか」

 

「たっくんも……、私を見て! こんな筋肉ダルマになってても、私を見て……。私はたっくんの為に、出来る事ならなんでもしてきたつもり……。でも、凄く不安になるの。たっくんは本当は私の事なんかどうでも良いんじゃないかって」

 

「ヒロミ……」

 

 俺はさすがに筋肉ダルマとまでは言ってない。

 それは全国の筋肉さんに失礼なんじゃないか。

 

「だから決めたの。もし私がこんな筋肉のお化けになっても、たっくんがいつもみたいに接してくれたら、私は一生たっくんについていくって! でも……、計画は失敗しちゃったみたい。えへへ、詰めが甘かったかな」

 

 ニコッと笑って俺の方を見た後、キッと向き直ってハナさんの方を睨む。

 膝がガクガクと震えているハナさん。俺、そんな貴方も愛してる。

 だがそんな事も思ってられない。

 俺はもう一度、ヒロミの方を見据えた。

 

「ヒロミ」

 

 ここで逃げちゃ駄目なんだ、今はきちんと答えを出さないと行けない時なんだ。

 俺は今までずっと、大切な答えを先延ばしにしてきた。

 だから、ヒロミにこんなにも辛い思いをさせてしまったんだ。

 

 今言おう。

 

 どんな答えでも、きっとヒロミは受け止めてくれる。

 幼馴染だからって、富豪のお嬢様だからって、筋肉だからって。そんなの何一つ、このお人好しで世間知らずのちょっと怒りっぽくて詰めの甘い、最高に可憐な乙女には関係ない。

 俺が言うべきはたった一つの、シンプルな答えだ。

 

 

「ヒロミ、俺はお前を愛してるぞ」

 

 

 言った、言ってやった。

 届いてくれたか、今はこんな分厚い筋肉に阻まれてるが、お前の心に。

 筋肉の筋の一つ一つを越えて、俺の熱い思いを刻み込んでくれ。

 

「たっくん……!」

 

 おいおい、泣くなよ。そんな図体して、涙脆い所は変わらないのかよ。

 優しくヒロミを抱きしめてやろう。

 俺のか細い腕が、ヒロミの僧帽筋と広背筋を包む。

 大胸筋から、外腹斜筋から、腹直筋からお前の筋肉の脈動が伝わってくるよ。

 

「好きだ! ヒロミ!」

 

「私も! たっくん!」

 

 キスしたって良いくらいだ。ぜひさせて貰いたい。

 こんなに分厚くても、あの優しいヒロミの唇なのだから。

 

「ヒロミ……!」

 

「たっくん……!」

 

「タクヤァ!」

 

 誰だ、最後に俺を呼び捨てしたのは。

 ヒロミの胸鎖乳突筋に埋めてた顔を上げると、そこに三つ編みリボンの可愛らしい女性が居た。

 あれれ。

 俺の顔の横にもう一つ、三つ編みリボンがよく鍛えられた首筋にかかっている。

 

「あ!」

 

 そうか。忘れてた。

 そうだった、俺のドッキリの為に全員マッチョに成り代わってたんだった。

 つまりは。

 

「そいつは! 私の!」

 

 ヒロミが元ヒロミの首根っこを思い切り引っ張って、後ろに引く。

 おお、お前、マッチョじゃないのにそんなに力あったんだな。

 

「偽者の筋肉野郎だァァッ!」

 

 ヒロミは俺の方に向かって、筋肉野郎こと元ヒロミを投げつける。

 空を飛ぶマッスル。

 さぁ来い! 俺の薄い胸板目掛けて飛び込め!

 俺の意識が飛ぶ間際、胸に感じた痛みは肋骨にヒビが入ったのと

 

 多分、この恋の壮絶な始まりのせいだろう。

 

<了>

 

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-作者あとがき-

 

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