太陽が昇り出す時の、ひりつくような悲しい物音を聴いたことがあるか?


 そいつはきっとこの世のものじゃない。カート・コバーンやシド・バレットなら知っているかもしれないが、少なくとも虚空を向いて右に倣う泥人形の世代には聞こえない代物なんだろう。盲目の少女が初めてのキスで漏らした声にも似ているし、場末のバーでギムレットを倒した男が億劫そうに発した舌打ちにも似ている。錆びたコンクリートに寝そべって、火照った身体を冷やす程度の癖になる気持ち良さだが、開いたワームホールに天使と突き落とされる幸運より出会える確率は低い。

 

 

 さっきからエンジンばかり面倒臭そうに唸っている。海鳴りがゆっくりと大きくなっていくのは開けっ放しの窓から嫌というほど伝わる。小雨が、辛抱強く降り続いている。煙草が切れたことに今更気付いて、モーテルの前に車を止め自販機に小銭を突っ込んだ。さっそく一本舐めていると、人影が見えた。どうやら近くのホテルから抜けだした男女のようだ。この小雨降る肌寒い冬の夜、宇宙船でも見に行くのだろうか。きっとそうだろう。不安気に微笑みながら、小走りで。

 

 発光する宇宙人が見たくて、あいつは一晩中ビアガーデンの裏庭に潜り込んでいた。蚊に刺されながら。たまに来るやる気のない巡回に怯えながら。鼻を啜りながら。左耳のピアスを撫でながら。俺がヒューガルデンを持って迎えに行ってやらなければ、きっとあいつは世界が終わるまであそこで粘っていたはずだ。本当に悪いことをした。

 

 鼻を赤くして謝ったあいつは、発光する宇宙人と何を話したかったのか。

 

 車に再度乗り込んで深く欠伸をした。それは三時も回れば欠伸のひとつくらい出るというものだ。ともに溢れた煙は特徴的な形をしていたのに、すぐに行き場をなくしてその場で消えた。

 

 確かに俺は愛そうとしていたんだ。砂漠に咲いた花に如雨露で水をやるようだと、誰も彼も揶揄(からか)ってくれたが。寝ているのか醒めているのかわからない泥濘(ぬかるみ)の中で、俺の右腕をムカデが這っていくのを眺めて過ごしたじゃないか。覚えてないのか? 便女掃除婦がわざわざ貼り付けたステッカーを印に、これ見よがしに抜きあったじゃないか。そんな思い出の何処が綺麗なんだ?

 

 ――柔らかい機械について。基本は臆病な猿みたいなんだ。歯が欠けている。バカにするために映画をよく見る。何処ぞのバーで誰彼問わず尻を蹴っ飛ばしあいながら、煙草を吹かしてブルーを喰らう。愛車はシトロエンだがロクに手入れもしないんで外も中も臭くてかなわんときた。学なんててんでありゃしない。ちょっと鼻歌が上手いからって、

 

 ――なあ、聞いてるのか?

 

 俺は後部座席の方に視線をくべて、鼻白み、安心してから続ける――


 それで、その柔らかい機械は昔、バカみたいな女と恋に落ちたんだ。化粧気のない、恋に恋してるセルロイドみたいな美人。美人! サブリナまで飛びたい気分だ。チキンな心臓と真っ黒いラングじゃ、部屋の中でサンフランシスコ・ガールの足にキスするのが精一杯だったさ。ああ、そうさ。

 

 さっきからエンジンばかり面倒臭そうに唸っている。海鳴りがゆっくりと大きくなっていくのは、開けっ放しの窓から嫌というほど伝わる。小雨が、辛抱強く降り続いている。それでも窓を閉めようとは思えなかったんだ。そうだ。俺は震える手でカチカチとハンドルを叩いた。寝ているのか醒めているのか――誰か話しかけてくれ。話しかけてくれ。つまらないレトロジョークでいいんだ。いかに政治が腐ってるかとか、ゴミの山の天辺から眺めたオーロラの色でも、ブーツの底に付いたガムの味でもいい。屈折したテールランプが葬列みたいに俺を見下してやがるから、落ち着きようがないのさ。びっしょりとかいた汗に、真冬の外気は容赦なくぶつかって弾ける。

 

 そしてあいつは言ったんだ。勝手に生きろってさ。そりゃあベンゼドリンだって年中キメてれば、どいつだって髑髏が溶けて脳味噌のドアをノックするあの音が気持ちよくなるんだ。卑屈になったり、躁になったり、忙しいのさ。それでいてよく覚えていないんだなんてよく平気でのたまえるもんだ。でもさ、ヘラヘラ笑っていたのだけは覚えてる。あるときを境に、笑っているか、黙っているかしか俺には出来なくなった。

 

 しかし、発光する宇宙人ってのはまた良いねえ。夢がある。俺もそんなヤツになりたいぜ。ステージに一匹でも居てくれりゃ、それで映えるってもんだ。柔らかい機械なんて下ろしちまってかまやしないだろう。シトロエンだって過ぎた玩具さ。基本は臆病な猿なんだ。所詮は。

 

 

 昔見た映画みたいなんだ。青年が独りで浜辺を歩き、The Whoあたりが流れるんだ。そんな具合で俺のシトロエンはダラダラと海鳴りを求めて走り、腐っていくんだ。そうだよ。走りながらでも腐ることは可能なんだぜ。わかるかい、この感じ。気持ちよくて射精しそうだ。あの時もそうで――いや、今更。どうしようもないことばかり起きた。それだけ。

 

 だけれど頭の中は何処かすっきりしない。発光する宇宙人に、俺も会いたいんだ。

 

 確かに俺は愛そうとしていたんだ。

 

 

 車は海に着いた。

 一服して洗っていない髪をごしごしと掻いて、後部座席からブランケットにくるまった彼女の死体を取り出してから、一度だけ無様に泣いた。溶けた黒曜石のような平らな海に毛布毎投げ捨てて、俺は瑣末な電話を入れる。嗚咽よりも、咳が酷い。潮風が喉を裂く。痛い。

 パトカーのサイレンを聴きながら、俺は干からびたヒトデの上に腰掛ける。誰かに話しかけられた気がして、海の方を振り返った。

 

 太陽が昇り出す時の音を、心待ちにしながら。

 

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