「マジ!? 魔王とか超意味わかんなくね?」

 

 すぐ隣に座っていたカップル――そのうちの男が食堂の真中に吊るされている液晶モニターを見て、女に共感を求めた。唾でも飛んだのか、女は眉を顰めて手で空を払った。

 

 彼等は揃ってハンバーグカレーだった。女の、綺麗な緑に染まったカーリー・ヘアーがやけに目立っていた。店内は夜中だというのにかなり混んでいて、その殆どがモニターから眼を離せずにいた。帰省ラッシュだとしても、この混雑は少々異常だ。

 

 ニュースキャスターが原稿を読み上げるのを聞きながら、腕時計に眼をやると、あと数分で日付が変わるところだった。

 

(早く帰らないと、そろそろ眠いし……)

 

 居眠り運転はまずい。一度それで事故を起こしてからは、かなり慎重になった。

 

「ワケわかんないね。パチこいてんじゃないのー?」

 

 女がよく通る甲高い声を響き渡らせる。

 

 爪楊枝で、歯の間に挟まったもやしを取り、容器を返しに行った。御殿場まであと数キロといったところか。

 

 一服と給油を済ませて、ラジオをつけた。高速道路を降りたあたりで仔細が詳らかになり、さほど関心がなかった僕もやっと魔王城のニュースを信用した。

 

 ちなみに魔王城という名前は、ゲーム好きで知られる社会派のコラムニストがTVで口にし、ネットで流行って、若者が使い出したため、そういう俗称になったらしい。ただ、社会派コラムニストという職業がどういうものか、僕にはわからないのだが。

 

 正式名称を某国の首脳がつけたようだが、覚えてない。

 

 マスコミを介して、魔王城の情報は一日もしないうちに全世界に知れ渡った。

 

 学生よりずっと短い夏休みの終わりを四日後に控えた僕は、ビールを片手に扇風機に当たりながら、ニュースを眺めていた。ついでに実家から送られてきたメロンもつまんだ。

 

 魔王城は大体、あの有名遊園地にあるお城くらいの高さで、海に落ちてきたというのにまったく沈む気配がなく、周囲に赤紫の煙を張っているという怪しげな建造物だ。

 

 諸外国が城についての緊急の協議を始め、我が国の頼りない大臣も何名かその場に臨んだようだった。

 

 僕は、田舎の母親に電話してメロンがいかに美味しかったかを適当に伝えた。田舎の母親も魔王についていくらか喋っていたが、僕が「お偉いさん達がどうにかするでしょ。それに僕等が何を出来るわけでもないし」と話すと「そうね」と言って、電話を切った。

 

 そして二本目のビールを開けた。生搾りだ。

 

 その間、無謀なTV局や、政治結社や、宗教団体が、ヘリコプターなどで魔王城に乗り込んだが、未だに帰ってきていない。

 

 ネットでは「魔王の配下に殺られたんじゃね?」とか「選ばれた勇者じゃなきゃダメだろ」とかフィクションの世界からの視点で、面白おかしく、ときにくだらない罵り合いをしながら議論を交わしていた。早い話が、いつもどおりだった。

 

 僕は、敷きっぱなしだった布団を干した。つんとくる饐えた匂いに絶句し、いつの間にこんな加齢臭を身に纏うようになってしまったのかと膝を折った。

 

 しかし、こんな気持ちの良い晴れの日に、アジかなにかの干物のように布団を干せたのは中々気持ち良かった。

 

 

 だがそれも束の間の安息というヤツで、今日も熱帯夜だった場合、干した後の布団の熱による二重攻撃を食らう可能性もあった。

 

 翌日。

 

 熱帯夜を乗り越えたある意味で勇者な僕は、大量の寝汗を流すべく、起きて早々シャワーを浴びた。

 

 ラジオをつけてから髭を剃る。

 

 緊急の協議がひと段落し、各国から兵士を集い魔王城のための軍隊を組むことになったらしい。我が国からも自衛隊員が派遣されるようだ。それに対する囁かなデモも、慎まやかに報じられた。

 

 僕は朝食を目玉焼きとトーストに決めた。

 

 が、冷蔵庫を開けて、どんなに眼を凝らしても卵の残像すら確認できなかったので、トーストにジャムを塗って食べた。

 

 ジャムも半分くらいで切れた。遣り切れない。遣り切れない朝食だ。なんだかそんなタイトルの前衛画がフランス辺りで売ってそうだ。いや、あっちでは絵画のタイトルもフランス語か。

 

 

 ラジオを消してTVにかえると、自衛隊派遣について芸能人や俳優やコメンテーターが作ったような険しい顔をして、議論を交わしていた。

 

 お笑い芸人も真剣な顔をしていた。司会に話を振られ、数十秒間喋った。いつも彼が出ているバラエティ番組では、自身のスタイルを阿呆の子で通しているというのに。

 

 TVをつけたままにして、ちょうど半分くらい読んだ小説を、一ヶ月振りに読もうとした。

 

 栞が無くなっていた。

 

 何処まで読んだか覚えていなかったので、初めからパラパラと読み、栞の代わりに折り目をつけ、本をしまった。これ、前に読んだわ。

 

 その日は、魔王城の特番ばかりやっていたが、特に新しい情報はなかった。

 

 

 次の日、かなり大きな動きがあった。

 


 喋る大鷲がホワイトハウスにやってきて、「魔王軍は全世界に向けて宣戦布告をする!」と叫んだのだ。

 

 その様子を撮影したビデオが、各地のメディアによって何度も流された。鳥類学者や遺伝子工学者、はたまた小型マイクなどの特殊機器の専門家まで招かれて、大鷲の映像を解析し続けた。

 

 ネットではヘルコンドルと名が付いた。そういうキャラクターが有名なゲームに登場するらしい。

 

 僕はというと、魔王軍ではなく肩こりと戦っていた。最近結構酷くなってきたので、そろそろ病院へ行こうかなと思っている。

 

(痛……)

 

 鷲に圧倒されっぱなしだった某国首脳は「返事はちょっと待ってくれないか」と難を逃れた。

 

 僕は英断だと思った。返事はちょっと待ってくれないか。行けたら行く並に、便利な言葉だ。勿論、すぐに緊急協議が行われた。その内容までは、流石に流してはくれないようだが。

 

 僕はジャムの空箱を投げ捨て、味のしない食パンをかじった。バターを買い忘れたのだ。

 

「仕事まであと二日か……」

 

 自然と独り言が漏れた。

 

 

 魔王が返事を待つわけもなく、「勇者は何処だァ! 勇者を出せェ!」とか叫びながら、骸骨の軍隊が某国の西海岸を襲った。

 

 西海岸は勿論のこと、世界は結構な混乱に襲われた。僕もちょっとは危機感を感じたが、慌てても仕方がないだろう。骸骨の兵士にも、ヘルコンドルにも、たとえ肩こりが治ろうと勝てる気がしない。

 

 挙句の果てに、「わしが勇者である!」と名乗るマント姿のおっさんが、骸骨の軍隊に喰い殺される事件(事故?)まで起きた。近くのスーパーで、あのマントを見たことがあった。大型スーパーで売ってるタイプの、パーティー用の、Lサイズだったっけか。

 

 僕はTVの前に座り、ビールを飲みながら、

 

「そろそろやばいかもわからんね」

 

 と呟いた。

 

 

 次の日、協議が強制採決され、某国の戦闘機が新型の原子爆弾を魔王城に落とした。

 

 

 きのこ雲や有害物質とともに、城は消え失せた。

 首脳達は「仕方がなかった」と繰り返すばかりだった。その後の辞任ラッシュは、中々ドラマチックだった。
 僕はというと、休み前に溜めてしまっていた仕事と戦っていた。
 冬にも申し訳程度の休みがある。その時、母親は何を送ってくれるだろうか。そんなことを考えていた。

 

 <了>

 

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