3
「世の中には不思議なこともある、って?」
こくり。
「それで、これがその銀のスプーン?」
アンティークチェアに座るアカルくんは、面白そうに私が渡したスプーンをためつすがめつしている。
「都内の公立高校で、お互い知ることも無かった生徒達の家に、それぞれ同じ種類の銀のスプーンがあった。だから何か繋がりがあるんじゃないかと思って事件にした」
「うん」
「だけど、今度は離れた別の高校でも同じスプーンを持っている人が現れた。事件は振り出しどころか、もっと複雑で解りにくいものになってしまった」
「うん」
「それで唯一の共通点が、この銀のスプーンという訳だ」
「あの」
「だから、ウチみたいな骨董屋なら、それがどういう品か解るんじゃないかって?」
「うん……」
私の答えに、アカルくんは口の端を上げて、ちょっと意地悪そうな表情。
「ならごめんね、僕みたいな子供じゃ力になれないよね」
あ、ううん。
首を振って。
そんなことは無いと思ったから、でも言葉にする程、私は器用じゃなかったから、ただ首を振るだけしかできなかったけど。
「ふふふ」
って、アカルくんは一瞬だけ意外そうな顔をしてから、目を瞑って笑っていた。
「この仙狸堂はね、なぜだか知らないけど、本当に何かを欲しい人ほどやってくるんだよ」
アカルくんの言葉に促されるように、私は周囲に積まれた色々な物に目を向ける。
高そうな茶碗、古そうな壺、なんて書いてあるのか解らない掛け軸、ガラス食器、漆の工芸品、家具、人形や能面、動物の剥製、昔の玩具、古本や雑貨。
古い物には、それだけ何か歴史や、それこそ私のスプーンみたいな不思議ないわれが、色んな推理小説にあるような様々な謎が、詰まっているのかもしれない。そう思うと、なんだかワクワクしてしまって。
「お姉さんって、変な人だね」
「よく、言われるかも」
ふふふ、ってアカルくんが笑うから、釣られて私も笑ってしまう。
「物にはね、込められた意味があるんだよ」
「意味?」
「そう。誰もが見える訳じゃないかもしれないけど、その意味が見える人は、それを含めて誰かに物を贈る」
「アカルくんは」
見える人なの、って聞こうと思ったけど。
「僕は見えるよ」
って、まるで心を読まれてしまったようで。
「それがキュリオハンターだから」
その時、ふわっ、て柔らかい風に乗って、なんだかバニラのような甘い香りが届いてきて。
「キュリオ、ハンター?」
「物好き、って意味かな。物が好きな人」
言いながら、アカルくんは銀のスプーンを手に取って、柄の方を私に向ける。
「これね、マッピンブラザーズのカトラリーだよ」
「え?」
「マッピンブラザーズはイギリスの有名な銀器の職人工房なんだよ。この工房のジョン・ニュートン・マッピンが作ったのが、マッピン&ウェッブ社。ここの銀食器は英国王室御用達で、今でも世界有数の銀器のブランドさ」
ぽかん、と、私は口を開けていたのかな。
「カトラリーは、知ってる? スプーンやフォーク、ナイフみたいな物のセットのことだよ。スプーンだけのものや、一揃いあるものとか、色々な種類のものがあるけど、だいたい六ピースでワンセットになっているかな」
大人びた雰囲気で、アカルくんが言葉を紡ぐ。
「わかる、の?」
「わかるさ」
物が好きだから、って、今度は子供っぽく笑う。
「まぁ、骨董の世界だと、銀器は鑑定しやすいってのもあるけどね」
そう言って、アカルくんは私に見えるように、スプーンの柄の部分をなぞってみせる。
「銀器はね、ここにホールマークがあるんだよ」
「ほーるまーく?」
「銀製品の品質を表したもの。銀器の本場はイギリスで、その表記の仕方は厳密に定められてるんだよ。だから、ここを見れば、それがどんな物なのか解る」
アカルくんが指差す先、銀のスプーンの柄の裏側に、今までは気にもしなかったけど、小さな四つの枠がずらっと並んでいる。
「まずメーカーズマーク。これは作られた工房のアルファベットが刻まれてる。ここだとMBってあるから、マッピンブラザーズ工房のものだって解るのさ」
「ふんふん」
「次にあるのがスタンダードマークで、銀の純度を表してる。この横向きのライオンはスターリングシルバー、純銀製の印なのさ。それで、これがアセイマーク。これは銀製品の産地ごとに分かれてて、ロンドンが豹、エジンバラは塔、バーミンガムは碇で、シェフィールドは薔薇って決まってるんだ。それで、これは薔薇だからシェフィールド製」
澱みなく説明するアカルくんは、本当に好きな物を説明する子供のようにも見えるし、私に優しく説明する先生のようにも見える。
「それで、最後がデイトレターで製造年を表したアルファベット。これはZで1867年製。ヴィクトリア時代のアンティークで、そうだね、良い品だと思う」
はい、と、そのままスプーンを私の方に差し出してくる。
「僕に分かるのは、これくらいかな」
銀のスプーンを受け取った私の手が、少しだけアカルくんの肌に触れる。ちょっとだけ冷たくて、柔らかくて、やっぱり子供なんだな、って思える。
それでも、今まで話してくれたことが、とっても嬉しかったから。私はちゃんと頭を下げてお礼をする。
「ありがとう、ございました」
すると、小さく「ふふ」って声が漏れたのが聞こえたから、ちょっとだけ顔を上げると、アカルくんが可笑しそうに顔を歪めていた。
「変なお姉さんだな」
頬を掻きながら、左目を眇めて私の方を見ている。
「少し聞くけど、お姉さんの誕生日っていつ?」
えっと。
「八月の二十二日?」
「なんで疑問形なのさ。って、まぁいいや、それで美沙さん、だっけ、お姉さんと同じスプーンを持ってる人、その人の誕生日がいつだか知ってる?」
あ、いつだったかな。なんか、前にそんなことをちょっと話した気がするな。確か、夏休み中で人から誕生日を祝って貰えないって話になって、あ、だからそうか。
「うん、私と近いんだ、八月の十六日だよ」
そう、とアカルくんは何かに納得した顔。
「じゃあ、ここから先は、僕の当て推量だからね」
「ほぁ?」
ふぅ、と息を吐いて、アカルくんは椅子に深く腰を下ろす。
「例えば、ある所に一人の女性がいました。その人は、家族はいないけれど、趣味で銀器を集めていました」
アカルくんがおとぎ話をするように、とつとつと言葉を並べていく。
「女性の仕事は、そうだね、助産婦さんで、長いこと病院に勤めて、何人もの赤ん坊を取り上げていた、とでもしようかな」
「それって……」
「ただの想像だよ。僕の考えた物語さ」
アカルくんはそう言って、小さくまばたきを見せる。
「それで、その女性はね、物に込められた意味を見られる人だった。それも特に、銀のスプーンに込められた意味を」
「銀のスプーンの、意味」
「イギリスのことわざにね〝銀のスプーンをくわえて生まれてくる〟っていうのがあるんだよ」
私は小さな銀のスプーンをくわえてすやすや眠る、赤ん坊の姿を想像する。
「銀のスプーンっていうのは、高価なのは勿論そうだけど、毒物に反応して黒くなるっていう性質があって、昔から暗殺を警戒する貴族が使ってきた歴史があるんだ」
大変そうだなぁ、貴族の人。
「そして、そこから転じて、銀のスプーンを持つのは貴族の家、裕福な家っていう意味があって、さっきのことわざも、裕福な家に生まれた子供って意味なんだよ」
一つ一つを噛みしめるように、私はアカルくんの言葉を受け取っていく。
「そしてもう一つ、その意味はさらに転じて、生まれてくる子供に銀のスプーンを贈る風習が生まれた。この子が裕福に過ごせますように、って」
「あ」
「解ったりした?」
「うん……」
ちょっとだけ、ね。
「だからね、その助産婦さんは、自分の取り上げた子供達に、自分の集めていた銀のカトラリーを贈ることにした。そこに込められた意味を、裕福に過ごせますように、っていう意味を、贈り物にした」
私は、手元の銀のスプーンを握り締める。
「同じカトラリーを持ってる人は、多分、生まれた日が近い人達なんだよ。一つのカトラリーを贈り終えたら、また別のカトラリーの中から一ピースごと贈っていく」
「だから、美沙ちゃんと私は、同じ形のを持ってた」
「そういうことにしとこうか。それで、同じ高校で何人かいたのは、全員が同じ助産院のある病院で産まれたから、かな。まぁ公立だから、いくらか住んでる所が離れていても、それくらいの確率では一緒になると思うよ。他の高校で銀のスプーンを持っている人も同じで、産まれた病院が同じ、っていう話なんだろうね」
「なんだ」
簡単な話だったのだ。
お母さんは昔からある物、としか言わなかったし、外野から囃し立ててた今日ちゃんは、それが誰から貰ったとかを気にしたりはしなかった。もし私が「誰から貰った物なのか」と、お母さんにそれだけ聞けば、きっと銀のスプーンの意味もすぐに解ったはずなのだ。
アカルくんは作り話だ、って言い張るけど、きっとこれが真実なんだと思う。
あ、でも、ちょっとだけ気になることがある。
「その助産婦さんは、ずっと銀のスプーンを、贈ってたの? だったら、もっと数があると思うけどな」
「ああ、それは……」
って、アカルくんは口をへの字に少しだけ曲げる。
「その女性は、二十年くらい前には引退してね、今は老人ホーム、ああ、今はそうか、シルバーホームって言うのかな、そこに居るんだよ。それで、そこに自分の集めてきた銀器を持ち込んだりはできないから、その処分の意味でね、ちょうどお姉さん達が生まれた頃から贈り始めたのさ」
アカルくんが一言放つ度に、私の中にある不思議な謎が、少しずつ溶けていく気がする。それが、なんだかとても心地よくて。
「あはは」
「何かおかしかったかな」
「違うよ」
嬉しかったんだと思う。
「アカルくんは凄いな、凄い」
別に、って言いつつアカルくんは、困ったような顔をする。
「調子が狂うなぁ」
「ごめんね」
「むぅ」
そう唸った後、アカルくんは雑貨が並んでいる棚の一角を指差して「ちょっと、そこにある焦げ茶色の箱を取って貰いたいな」って言ってきた訳で。
それくらいお安い御用です。
「これ、なに?」
「開けてみて」
言われた通り、私がその小さな宝箱みたいなそれを開けると、中から銀色の光が溢れてきた。
「これって」
「ヘンリー・チョーナーのシェルバターディッシュ。ジョージ三世の頃のアンティークで、多分、仙狸堂にある銀食器の中だと一番良いやつだと思う」
「きれい……」
箱の中に二つ、私のスプーンと同じような、貝殻の形の小さなお皿が入っている。古い物には見えないくらい、とってもぴかぴかに磨かれてて、薄い灯りを四方に反射している。
「カトラリーじゃないからね。産まれてくる赤ちゃんの為に渡せないからって、そうした銀器の一部は、うちみたいな骨董屋に持ち込まれたんだよ」
「アカルくんは、その……、このスプーンをくれた女の人を知ってる、の?」
「さぁね、少なくとも僕が仙狸堂を継いでからのお客さんじゃないし。だからさっきの話も、ただの想像だよ、ちょっとばかり僕が知ってる情報を付け足した上での、ね」
さら、と、首を傾げたアカルくんの髪が揺れる。
「あ、これ」
思わず声が出ていた。
私にしては珍しく、考えるより先に言葉が出てる。
「これ、いくらですか」
「え、買うつもりなの?」
「ダメ、かな」
「ダメじゃないけど、お姉さんが買うには高いと思うし、どうしてかな、って。こういう銀食器を集めるのが好きになったとか?」
私は、小さく首を振る。
それは多分、嬉しかったから。私が生まれた瞬間から、私のことを祝福してくれていた人が居たことと、その人のお蔭で、ほんのちょっとの謎にワクワクできて、友達が増えたこととか、色々なことが。
「私に、この銀のスプーンをくれた女の人に、恩返しがしたいから。私も何か贈り物をしたい、から」
って、そんな、素直な気持ち。
それを受け取ってくれたのか、アカルくんは面白そうに目を細めてから「ふふふ」と笑って、
「それは良いね。だけど、元々その人が売った物を贈ってどうするのさ」
あ、そうか。
恥ずかしい。
顔が赤くなってる気がする。
「それだったら、さ」
そう言って、アカルくんは椅子の上から手を伸ばし、後ろの棚にあった細長い箱を手に取る。
「これなんか良いんじゃないかな」
アカルくんがスライドさせて箱を開けると、キラキラと白く輝く箸が姿を現した。
「銀の、箸?」
「中国や韓国だと、長寿のお祝いに銀の箸を贈る風習があるんだよ。ちょうどイギリスとは逆だね」
そうなのか、それは面白いなあ。
「それは銀メッキだけど、品質は保証するよ」
私はそこに小さく貼られた値札を確認。うん、買える。
「うん、私、これが欲しいです」
「そう」
本当に変な人だね、ってアカルくんは言うけど、私はなんだかそれが照れくさくて、つい笑ってしまった。
「銀のスプーンを贈られて生まれた子が、長生きを願ってそれをくれた人に銀の箸を贈る」
私は頷く。
「そこにある意味を込めて。だから人はいつだって物を手にするのさ。『なにが』贈りたいかじゃなくて、『なんで』贈りたいか―」
アカルくんは、そう言いながら、私に銀の箸を託してくれて。
「それを考えた時に、いつだって正しいモノ――ライトスタッフ――は目の前に現れてくれるんだよ」
銀の輝きみたいな涼やかな瞳で、澄んだ音で歌うようにして、柔らかく微笑みかけてくれて。
「それじゃ、これで」
アカルくんが立ち上がって会計を済ました時、私の心には仄明るい、嬉しさみたいのが湧きあがってた。
うん、だから。
頭を深く下げる。
「また、来ます」
ふふふ、と笑うアカルくんも、私に対して深々とお辞儀を返してくれた。
「またのご来店、お待ちしています」
「またね」
店を出る間際、私は小さく手を振る。
するとアカルくんは、最初は恥ずかしそうにしてたけど、一回だけ手を振り返してくれた。
その様子に、私はまた少しだけ嬉しくなった。
4
「あ、めろー」
中野ブロードウェイの三階に降りたあたりで、今日ちゃんが駆け出して近づいてきた。
「今日ちゃん、買い物終わった?」
「終わった終わった、今日もばっちし大量だ」
ぽん、と得意気に、小脇に提げた大きな鞄を叩く今日ちゃん。楽しかったんだろうな。
「めろの方は、ってあれ、いつもみたいに大量に本を抱えてないの? なんも見つかんなかったの?」
ふんふん。
「首を振るだけで反応するなー」
がっし、と、伸ばされた両手で頭を掴まれてしまう。
「う、うん。ちょっとね」
私は、手元にある銀の箸を、少しだけ今日ちゃんに見せる。
でもそこに込められた意味は、まだ黙っていようかな。だって、銀のスプーンを巡って、今日ちゃんとあれやこれやってやるの、好きだから。
「ふーん、ついに骨董品なんぞに手を出したか」
訝しげな視線を寄越す今日ちゃん。
「どうせなら、銀の燭台でも買ってくれば良いのよ」
「?」
「レ・ミゼラブル」
ああ。
「ふふ」
レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンは、お世話になった司教様の銀の食器を盗んでしまった。けれど、司教様はさらに銀の燭台も渡して、ジャン・バルジャンに「正しい人」とは何かを説いた。
これ、私が前に今日ちゃんに話したやつ。
私の好きなお話の一つ。
「今日ちゃんって、たまに、すごいよね」
「たまにとはなんじゃ!」
少し前を歩く私の腕を、ぐい、と乱暴に引き寄せて、無理矢理に横並びにさせる今日ちゃん。
「ほんと、だよ」
私は鞄から、小さな銀のスプーンを取り出して、左右に振ってみる。中野ブロードウェイの電灯を反射して、光の軌跡が目の前の道にちらちらと映っていく。
銀色の輝きはとっても綺麗で。
「あ」
「何?」
「今日ちゃん」
「だから何よぉ」
アカルくんみたいな、なんでもお見通しな人のことを言うのかな。
「私ね、イケメン探偵? に会ったよ」
「はぁ?! よく解んないけど、そこんとこ詳しく!」
うん。
あのね――。
〈了〉