「世の中には不思議なこともある、って?」

 こくり。

「それで、これがその銀のスプーン?」

 アンティークチェアに座るアカルくんは、面白そうに私が渡したスプーンをためつすがめつしている。

「都内の公立高校で、お互い知ることも無かった生徒達の家に、それぞれ同じ種類の銀のスプーンがあった。だから何か繋がりがあるんじゃないかと思って事件にした」

「うん」

「だけど、今度は離れた別の高校でも同じスプーンを持っている人が現れた。事件は振り出しどころか、もっと複雑で解りにくいものになってしまった」

「うん」

「それで唯一の共通点が、この銀のスプーンという訳だ」

「あの」

「だから、ウチみたいな骨董屋なら、それがどういう品か解るんじゃないかって?」

「うん……」

 私の答えに、アカルくんは口の端を上げて、ちょっと意地悪そうな表情。

「ならごめんね、僕みたいな子供じゃ力になれないよね」

 あ、ううん。

 首を振って。

 そんなことは無いと思ったから、でも言葉にする程、私は器用じゃなかったから、ただ首を振るだけしかできなかったけど。

「ふふふ」

 って、アカルくんは一瞬だけ意外そうな顔をしてから、目を瞑って笑っていた。

「この仙狸堂はね、なぜだか知らないけど、本当に何かを欲しい人ほどやってくるんだよ」

 アカルくんの言葉に促されるように、私は周囲に積まれた色々な物に目を向ける。

 高そうな茶碗、古そうな壺、なんて書いてあるのか解らない掛け軸、ガラス食器、漆の工芸品、家具、人形や能面、動物の剥製、昔の玩具、古本や雑貨。

 古い物には、それだけ何か歴史や、それこそ私のスプーンみたいな不思議ないわれが、色んな推理小説にあるような様々な謎が、詰まっているのかもしれない。そう思うと、なんだかワクワクしてしまって。

「お姉さんって、変な人だね」

「よく、言われるかも」

 ふふふ、ってアカルくんが笑うから、釣られて私も笑ってしまう。

「物にはね、込められた意味があるんだよ」

「意味?」

「そう。誰もが見える訳じゃないかもしれないけど、その意味が見える人は、それを含めて誰かに物を贈る」

「アカルくんは」

 見える人なの、って聞こうと思ったけど。

「僕は見えるよ」

 って、まるで心を読まれてしまったようで。

「それがキュリオハンターだから」

 その時、ふわっ、て柔らかい風に乗って、なんだかバニラのような甘い香りが届いてきて。

「キュリオ、ハンター?」

「物好き、って意味かな。物が好きな人」

 言いながら、アカルくんは銀のスプーンを手に取って、柄の方を私に向ける。

「これね、マッピンブラザーズのカトラリーだよ」

「え?」

「マッピンブラザーズはイギリスの有名な銀器の職人工房なんだよ。この工房のジョン・ニュートン・マッピンが作ったのが、マッピン&ウェッブ社。ここの銀食器は英国王室御用達で、今でも世界有数の銀器のブランドさ」

 ぽかん、と、私は口を開けていたのかな。

「カトラリーは、知ってる? スプーンやフォーク、ナイフみたいな物のセットのことだよ。スプーンだけのものや、一揃いあるものとか、色々な種類のものがあるけど、だいたい六ピースでワンセットになっているかな」

 大人びた雰囲気で、アカルくんが言葉を紡ぐ。

「わかる、の?」

「わかるさ」

 物が好きだから、って、今度は子供っぽく笑う。

「まぁ、骨董の世界だと、銀器は鑑定しやすいってのもあるけどね」

 そう言って、アカルくんは私に見えるように、スプーンの柄の部分をなぞってみせる。

「銀器はね、ここにホールマークがあるんだよ」

「ほーるまーく?」

「銀製品の品質を表したもの。銀器の本場はイギリスで、その表記の仕方は厳密に定められてるんだよ。だから、ここを見れば、それがどんな物なのか解る」

 アカルくんが指差す先、銀のスプーンの柄の裏側に、今までは気にもしなかったけど、小さな四つの枠がずらっと並んでいる。

「まずメーカーズマーク。これは作られた工房のアルファベットが刻まれてる。ここだとMBってあるから、マッピンブラザーズ工房のものだって解るのさ」

「ふんふん」

「次にあるのがスタンダードマークで、銀の純度を表してる。この横向きのライオンはスターリングシルバー、純銀製の印なのさ。それで、これがアセイマーク。これは銀製品の産地ごとに分かれてて、ロンドンが豹、エジンバラは塔、バーミンガムは碇で、シェフィールドは薔薇って決まってるんだ。それで、これは薔薇だからシェフィールド製」

 澱みなく説明するアカルくんは、本当に好きな物を説明する子供のようにも見えるし、私に優しく説明する先生のようにも見える。

「それで、最後がデイトレターで製造年を表したアルファベット。これはZで1867年製。ヴィクトリア時代のアンティークで、そうだね、良い品だと思う」

 はい、と、そのままスプーンを私の方に差し出してくる。

「僕に分かるのは、これくらいかな」

 銀のスプーンを受け取った私の手が、少しだけアカルくんの肌に触れる。ちょっとだけ冷たくて、柔らかくて、やっぱり子供なんだな、って思える。

 それでも、今まで話してくれたことが、とっても嬉しかったから。私はちゃんと頭を下げてお礼をする。

「ありがとう、ございました」

 すると、小さく「ふふ」って声が漏れたのが聞こえたから、ちょっとだけ顔を上げると、アカルくんが可笑しそうに顔を歪めていた。

「変なお姉さんだな」

 頬を掻きながら、左目を眇めて私の方を見ている。

「少し聞くけど、お姉さんの誕生日っていつ?」

 えっと。

「八月の二十二日?」

「なんで疑問形なのさ。って、まぁいいや、それで美沙さん、だっけ、お姉さんと同じスプーンを持ってる人、その人の誕生日がいつだか知ってる?」

 あ、いつだったかな。なんか、前にそんなことをちょっと話した気がするな。確か、夏休み中で人から誕生日を祝って貰えないって話になって、あ、だからそうか。

「うん、私と近いんだ、八月の十六日だよ」

 そう、とアカルくんは何かに納得した顔。

「じゃあ、ここから先は、僕の当て推量だからね」

「ほぁ?」

 ふぅ、と息を吐いて、アカルくんは椅子に深く腰を下ろす。

「例えば、ある所に一人の女性がいました。その人は、家族はいないけれど、趣味で銀器を集めていました」

 アカルくんがおとぎ話をするように、とつとつと言葉を並べていく。

「女性の仕事は、そうだね、助産婦さんで、長いこと病院に勤めて、何人もの赤ん坊を取り上げていた、とでもしようかな」

「それって……」

「ただの想像だよ。僕の考えた物語さ」

 アカルくんはそう言って、小さくまばたきを見せる。

「それで、その女性はね、物に込められた意味を見られる人だった。それも特に、銀のスプーンに込められた意味を」

「銀のスプーンの、意味」

「イギリスのことわざにね〝銀のスプーンをくわえて生まれてくる〟っていうのがあるんだよ」

 私は小さな銀のスプーンをくわえてすやすや眠る、赤ん坊の姿を想像する。

「銀のスプーンっていうのは、高価なのは勿論そうだけど、毒物に反応して黒くなるっていう性質があって、昔から暗殺を警戒する貴族が使ってきた歴史があるんだ」

 大変そうだなぁ、貴族の人。

「そして、そこから転じて、銀のスプーンを持つのは貴族の家、裕福な家っていう意味があって、さっきのことわざも、裕福な家に生まれた子供って意味なんだよ」

 一つ一つを噛みしめるように、私はアカルくんの言葉を受け取っていく。

「そしてもう一つ、その意味はさらに転じて、生まれてくる子供に銀のスプーンを贈る風習が生まれた。この子が裕福に過ごせますように、って」

「あ」

「解ったりした?」

「うん……」

 ちょっとだけ、ね。

「だからね、その助産婦さんは、自分の取り上げた子供達に、自分の集めていた銀のカトラリーを贈ることにした。そこに込められた意味を、裕福に過ごせますように、っていう意味を、贈り物にした」

 私は、手元の銀のスプーンを握り締める。

「同じカトラリーを持ってる人は、多分、生まれた日が近い人達なんだよ。一つのカトラリーを贈り終えたら、また別のカトラリーの中から一ピースごと贈っていく」

「だから、美沙ちゃんと私は、同じ形のを持ってた」

「そういうことにしとこうか。それで、同じ高校で何人かいたのは、全員が同じ助産院のある病院で産まれたから、かな。まぁ公立だから、いくらか住んでる所が離れていても、それくらいの確率では一緒になると思うよ。他の高校で銀のスプーンを持っている人も同じで、産まれた病院が同じ、っていう話なんだろうね」

「なんだ」

 簡単な話だったのだ。

 お母さんは昔からある物、としか言わなかったし、外野から囃し立ててた今日ちゃんは、それが誰から貰ったとかを気にしたりはしなかった。もし私が「誰から貰った物なのか」と、お母さんにそれだけ聞けば、きっと銀のスプーンの意味もすぐに解ったはずなのだ。

 アカルくんは作り話だ、って言い張るけど、きっとこれが真実なんだと思う。

 あ、でも、ちょっとだけ気になることがある。

「その助産婦さんは、ずっと銀のスプーンを、贈ってたの? だったら、もっと数があると思うけどな」

「ああ、それは……」

 って、アカルくんは口をへの字に少しだけ曲げる。

「その女性は、二十年くらい前には引退してね、今は老人ホーム、ああ、今はそうか、シルバーホームって言うのかな、そこに居るんだよ。それで、そこに自分の集めてきた銀器を持ち込んだりはできないから、その処分の意味でね、ちょうどお姉さん達が生まれた頃から贈り始めたのさ」

 アカルくんが一言放つ度に、私の中にある不思議な謎が、少しずつ溶けていく気がする。それが、なんだかとても心地よくて。

「あはは」

「何かおかしかったかな」

「違うよ」

 嬉しかったんだと思う。

「アカルくんは凄いな、凄い」

 別に、って言いつつアカルくんは、困ったような顔をする。

「調子が狂うなぁ」

「ごめんね」

「むぅ」

 そう唸った後、アカルくんは雑貨が並んでいる棚の一角を指差して「ちょっと、そこにある焦げ茶色の箱を取って貰いたいな」って言ってきた訳で。

 それくらいお安い御用です。

「これ、なに?」

「開けてみて」

 言われた通り、私がその小さな宝箱みたいなそれを開けると、中から銀色の光が溢れてきた。

「これって」

「ヘンリー・チョーナーのシェルバターディッシュ。ジョージ三世の頃のアンティークで、多分、仙狸堂(うち)にある銀食器の中だと一番良いやつだと思う」

「きれい……」

 箱の中に二つ、私のスプーンと同じような、貝殻の形の小さなお皿が入っている。古い物には見えないくらい、とってもぴかぴかに磨かれてて、薄い灯りを四方に反射している。

「カトラリーじゃないからね。産まれてくる赤ちゃんの為に渡せないからって、そうした銀器の一部は、うちみたいな骨董屋に持ち込まれたんだよ」

「アカルくんは、その……、このスプーンをくれた女の人を知ってる、の?」

「さぁね、少なくとも僕が仙狸堂を継いでからのお客さんじゃないし。だからさっきの話も、ただの想像だよ、ちょっとばかり僕が知ってる情報を付け足した上での、ね」

 さら、と、首を傾げたアカルくんの髪が揺れる。

「あ、これ」

 思わず声が出ていた。

 私にしては珍しく、考えるより先に言葉が出てる。

「これ、いくらですか」

「え、買うつもりなの?」

「ダメ、かな」

「ダメじゃないけど、お姉さんが買うには高いと思うし、どうしてかな、って。こういう銀食器を集めるのが好きになったとか?」

 私は、小さく首を振る。

 それは多分、嬉しかったから。私が生まれた瞬間から、私のことを祝福してくれていた人が居たことと、その人のお蔭で、ほんのちょっとの謎にワクワクできて、友達が増えたこととか、色々なことが。

「私に、この銀のスプーンをくれた女の人に、恩返しがしたいから。私も何か贈り物をしたい、から」

 って、そんな、素直な気持ち。

 それを受け取ってくれたのか、アカルくんは面白そうに目を細めてから「ふふふ」と笑って、

「それは良いね。だけど、元々その人が売った物を贈ってどうするのさ」

 あ、そうか。

 恥ずかしい。

 顔が赤くなってる気がする。

「それだったら、さ」

 そう言って、アカルくんは椅子の上から手を伸ばし、後ろの棚にあった細長い箱を手に取る。

「これなんか良いんじゃないかな」

 アカルくんがスライドさせて箱を開けると、キラキラと白く輝く箸が姿を現した。

「銀の、箸?」

「中国や韓国だと、長寿のお祝いに銀の箸を贈る風習があるんだよ。ちょうどイギリスとは逆だね」

 そうなのか、それは面白いなあ。

「それは銀メッキだけど、品質は保証するよ」

 私はそこに小さく貼られた値札を確認。うん、買える。

「うん、私、これが欲しいです」

「そう」

 本当に変な人だね、ってアカルくんは言うけど、私はなんだかそれが照れくさくて、つい笑ってしまった。

「銀のスプーンを贈られて生まれた子が、長生きを願ってそれをくれた人に銀の箸を贈る」

 私は頷く。

「そこにある意味を込めて。だから人はいつだって物を手にするのさ。『なにが』贈りたいかじゃなくて、『なんで』贈りたいか―」

 アカルくんは、そう言いながら、私に銀の箸を託してくれて。

「それを考えた時に、いつだって正しいモノ()――ライトスタッフ――は目の前に現れてくれるんだよ」

 銀の輝きみたいな涼やかな瞳で、澄んだ音で歌うようにして、柔らかく微笑みかけてくれて。

「それじゃ、これで」

 アカルくんが立ち上がって会計を済ました時、私の心には仄明るい、嬉しさみたいのが湧きあがってた。

 うん、だから。

 頭を深く下げる。

「また、来ます」

 ふふふ、と笑うアカルくんも、私に対して深々とお辞儀を返してくれた。

「またのご来店、お待ちしています」

「またね」

 店を出る間際、私は小さく手を振る。

 するとアカルくんは、最初は恥ずかしそうにしてたけど、一回だけ手を振り返してくれた。

 その様子に、私はまた少しだけ嬉しくなった。

 

 

 

「あ、めろー」

 中野ブロードウェイの三階に降りたあたりで、今日ちゃんが駆け出して近づいてきた。

「今日ちゃん、買い物終わった?」

「終わった終わった、今日もばっちし大量だ」

 ぽん、と得意気に、小脇に提げた大きな鞄を叩く今日ちゃん。楽しかったんだろうな。

「めろの方は、ってあれ、いつもみたいに大量に本を抱えてないの? なんも見つかんなかったの?」

 ふんふん。

「首を振るだけで反応するなー」

 がっし、と、伸ばされた両手で頭を掴まれてしまう。

「う、うん。ちょっとね」

 私は、手元にある銀の箸を、少しだけ今日ちゃんに見せる。

 でもそこに込められた意味は、まだ黙っていようかな。だって、銀のスプーンを巡って、今日ちゃんとあれやこれやってやるの、好きだから。

「ふーん、ついに骨董品なんぞに手を出したか」

 訝しげな視線を寄越す今日ちゃん。

「どうせなら、銀の燭台でも買ってくれば良いのよ」

「?」

「レ・ミゼラブル」

 ああ。

「ふふ」

 レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンは、お世話になった司教様の銀の食器を盗んでしまった。けれど、司教様はさらに銀の燭台も渡して、ジャン・バルジャンに「正しい人」とは何かを説いた。

 これ、私が前に今日ちゃんに話したやつ。

 私の好きなお話の一つ。

「今日ちゃんって、たまに、すごいよね」

「たまにとはなんじゃ!」

 少し前を歩く私の腕を、ぐい、と乱暴に引き寄せて、無理矢理に横並びにさせる今日ちゃん。

「ほんと、だよ」

 私は鞄から、小さな銀のスプーンを取り出して、左右に振ってみる。中野ブロードウェイの電灯を反射して、光の軌跡が目の前の道にちらちらと映っていく。

 銀色の輝きはとっても綺麗で。

「あ」

「何?」

「今日ちゃん」

「だから何よぉ」

 アカルくんみたいな、なんでもお見通しな人のことを言うのかな。

「私ね、イケメン探偵? に会ったよ」

「はぁ?! よく解んないけど、そこんとこ詳しく!」

 うん。

 あのね――。

 

 

〈了〉

 

 

 

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