4

 

 襲撃。漂流。離散。

 船上での乱痴気騒ぎからほんの数刻であるというのに、これだけの事件に遭遇し、支倉常長とルイス・ソテロ、その他遣欧使節の面々にもさすがに疲れの色が浮かぶ。

 それは長旅の果てにやっと辿り着いた大地が、見も知らぬ土地だからだけではない。通る道通る道、馴染みの無い服装に身を包んだ、馴染みの無い言葉を話す、馴染みある日本人の姿が溢れ、彼らが一様に常長らを指差しては笑うのだ。

 遣欧使節が物珍しいか、あるいは彼らはこの地に土着した日本人だからこそ、彼らの立ち居振る舞いがまるで地元の物とかけ離れている様を可笑しく思い、嘲っているのやもしれない。

 かしり、と歯噛みのような音と共に、幾人かの現地の日本人が常長らに向けて手を振った。彼らは手に手に小柄(侍が腰に差す小刀)のような物を、垂直に構えている。かしり、かしりという音は、全てその小柄から放たれた鞘走りの音のようであった。

「彼らは何をしておるのであろう」

 常長の問いに誰も答えられず、藩士一行は並んで、左右に広がる小柄と鞘走りの歓迎を受け続けた。

 と、一人の女性が常長に近づいて来た。年の頃二十三四、頭に猫か犬のような獣の耳を模した装飾品をつけてある。これはノビスパンのインディアンの風俗に似たような物があると、先頃ソテロから一同聞かされていた。

「侍さん、一緒に写メ撮ってください」

「しゃめとる? 現地の言葉でござるか?」

 女性は懐より、華美な装飾の施された桃の花の色をした小柄を取り出し、それを従者と思われる隣の男性に手渡した。男性は小柄を、それは先程から周囲の人間がしているように、垂直に構え常長ら一行に向けた。

「ほう、女子の小柄というのは可愛らしいのう」

「Si、現地の文化にある装飾品に似てマス」

「褒めてくれてアリガト、ささ、侍さん皆が写るように撮って」

 女性の合図に従者は心得たとばかりに、かしり、という鞘走りの音を持って迎えた。次いでありがとう、と女性が常長らに礼を述べ、従者と共に去っていく。

 なるほど、これは儀仗である。あの小柄は武器ではなく、賓客を歓迎する為に作られた儀式用の儀仗刀であり、彼らは鞘走りの音をさせる事によって、使節団を出迎えているのだと、常長は理解した。

 現地の流儀作法を理解すれば、それも不愉快な物などではない。人々は笑顔で使節団を迎えているのだと知れば、常長もソテロも、続く者達にも笑顔で返す余裕が生まれた。そうなれば現地の日本人も笑顔で返す。しゃめとる、という現地の流儀も理解し、各自、彼らの歓待に応える。

「それにシテモ、早くビスカイノや他の皆と合流しないと駄目デス」

「然り、アカプルコの市がこうも広くては探すのに手間取る。どこか見晴らしの良い場所で、地上を眺められれば良いが……」

「支倉殿! あれを!」

 日下部利三の言葉を受け、支倉とソテロが前方を向く。

 そこには立ち上る炎の如く、あるいは菖蒲の葉に似たる、実に鋭利そうな岩山の姿がある。またその炎を這うように木のレールが敷かれ、その上を荷車と見られる物が高速で辷り落ちて行く。

「ぬぅ、ソテロ殿、あれは何物であろうか!」

「Oh、あれは多分、この付近の鉱山で使われている輸送用の荷車デス」

 後年、この機構はトラムロード、あるいはトロッコと呼ばれ、鉱山業の発展に寄与し、さらには鉄道へと繋がっていくが、当然ながら十七世紀のノビスパンには鉄道は存在し得ない。

「支倉殿、あれほどの高さなれば、この周囲も一望できましょう」

「うむ、名案であるな! よし皆の衆、あの山の周囲に登れる所が無いか探そうぞ!」

 常長の提案に小気味良い返事で返した藩士らは、人の流れに呑まれながら、どうやら少しずつ目的の切っ先鋭き険峻なる山へと近づいているようであった。現地の日本人らも、口々に山に登らむと話している所から、確実に山の上から周囲を眺める事は可能であると、常長はそう判断した。

 やがて暗い洞窟に差し掛かろうかという所で、常長の目に留まったのは、荒涼とした岩場に立つ、華麗な羽飾りや細かい石で作られた数珠で身を固めた、現地のインディアンが手を振っている姿であった。精悍な顔つきをした彼は、まるでそれ以外は動かさないかのように、器用に上腕だけを振り、常長らの到着を歓迎しているのだ。

「ヨウコソ、ヨウコソ」

「おお、ソテロ殿! 見られよ! いんでぃあんの者も我らの言葉を用いて歓迎しておる!」

「Si、彼らとの理解共存がノビスパン統治の第一デス」

 やがて夜光虫か苔によって幻想的なまでに照らされた洞窟を進み、常長らが先頃、山の斜面を駆け辷っていった荷車に座らされる段まで来た。

「はいベルトを締めましたか? 次は肩の安全バーを降ろしてください」

「ぬ、こうであるか」

 鉱山の責任者と見られる女性が、荷車に乗る者達に指示を与えている。常長も周囲に倣い、胴締めの帯と肩から下ろす綿詰めと思われる首巻きを装着し、いざや山の頂き、アカプルコの市街を眺望し、はぐれたビスカイノ達を探そうとする。

 かたりかたり、と荷車が木の板を踏む音が暗い洞穴に響き、体で小さな傾斜を感じながら、今間も無く、頂上に辿り着く事が常長らには予測できた。

 刹那、差し込む陽気溢れる光線。 洞窟から出た所で眩む程の明るさが襲ったのは、目が暗さに慣れていたのと、中天に高く日が昇っていたからである。

「なんと素晴らしき眺め!」

 常長の声に続いて藩士達の間からも、おお、とか、これは、などといった感嘆の声が口々に漏れ出した。それも無理からぬ事で、眼前に広がるアカプルコの市と思われる街は、まるで最初から計画されて作られたかのように整然とし、各地に様式美とも言える建造物が立ち並ぶ。遠くに見える海は、昨日の海賊の襲撃も嘘であったのかのように澄み渡り、海鳥が飛び交う姿すら視認できた。

「カイ殿ー! ワシはここぞー! 遣欧使節の者よー!」

 常長の声、藩士の声、混ざりあいながらも高い山から大地に居るであろうビスカイノ達に届けようとしていた。

 一方、常長らを乗せた荷車は山の尾根にあたる細い道を、なおもゆっくりと進みながら登る。頂上で一度、がたん、と車輪がレールを噛む音がしたが、声をあげる常長らに気づく余裕は無く、それから少しずつ荷車が前のめりになって行くのに気づいたのは、細谷正左衛門だけであった。

「支倉殿、先程からこの荷車、少し傾いておりませぬか?」

「細谷、怯えておるのか! 大丈夫じゃ、安心せい。これは人が乗る為の連絡用の物。よもや運搬用ではあるまい」

「Si、大丈夫デス、大丈夫デ……」

 ソテロが言った所で、全員、尻が浮くような感覚を受けた後、視界が一転した。

 急降下。

 すわレールから脱線か、そう思う程に荷車は駆け始めた。奔馬の如く、雷霆の如く、常長らを乗せた荷車が、炎の上に敷かれたレールを縦横無尽に山肌を舐めるように駆けるのだ。

「あばばばば!」

「Noooooo!!」

 顔面に受ける空気が、馬の腹のように重く生暖かい。

 終わる事の無い落下と奔走の恐怖に、常長らはこの先一分ほどの合間、悲鳴を上げ続けるしか無かった。

 


5

 

 菫や躑躅、あるいは現地の花である石菖。種々の花が可憐に咲く植え込みの端に、探検家セバスチャン・ビスカイノらが陣取って座っていた。

 彼らの目的はただ、はぐれてしまった支倉常長やルイス・ソテロらと合流する事であったが、その願いも叶わずに居た。

 一度、山崎源衛の提案で高い所から見渡せば見つかるとして、遠くに見えた険峻な鉱山を目指そうとしたが、高い所が苦手だというビスカイノの懇願によって、その案は取り下げられた。

「Oh……、腹空いたダベッチャ……」

「カイ殿、食糧は無いのでござるか?」

「全部、乗ってきた船の中ダデバ……」

「うむ……」

 それきり侍達は黙ってしまった。体感的にはまだそう時間は経っていないと思えるが、船から降りた時には夜であり、今、空高くに日が差しているのを見れば、半日は過ぎた事になる。その間、飲まず食わずで来たのならば、そろそろ誰かが弱音を吐く頃となる。しかしこれ以上誰かが言えば、その弱気は伝播して、遠大な目標を持って渡海した使節団の士気を挫く事になると、誰もが理解していた。

「ヌ……?」

 うつむいていたビスカイノの目の前に、ふとリンゴが差し出された。

 山崎ではない。他の藩士達でも無い。顔を上げれば、リンゴを差し出した者が一人の老婆だと気づく。彼女は手に籠を提げ、そこには一杯のリンゴがある。もしその外見が普通であったなら、彼女が周辺で働くリンゴ売りだと思ったかもしれない。しかしその顔は丁度、飢饉の悲惨さを描いた平安時代の絵巻物に現れるような、戯画めいた大きな老婆の仮面を被り、全身に黒くゆったりとしたローブのような物を着ている。

 もし彼らに知識があったのなら、それが西洋の御伽噺に出るような典型的な魔女の姿だったと気づいたかもしれない。あるいはノビスパンの祭りに、こうした巨大な仮面を用いたものがあったかどうか、ビスカイノ自身も訝しんだだろう。結局、ビスカイノは自身の空腹感がそういった思考を押しのけて、老婆から恭しくリンゴを受け取った。

「Oh……、頂くダベ」

 大口を開けてリンゴを頬張ろうとするビスカイノ。どうにも最初は噛み切れない程硬かったが、二度三度、歯を突き立ててやっと齧る事が出来た。やがて異様な感触が口中に広がるが、ビスカイノは意に介さない。

 何故であろうか、リンゴを渡した老婆仮面の方が焦るようにビスカイノからリンゴを取り上げた。

「ダメダメ! 食べちゃダメですよ、それ作り物です!」

 老婆仮面の動かない口から、そんな言葉が聞こえた。しかし日本語に慣れないビスカイノは、早口の上、仮面越しのぼそぼそとした言葉の意味を理解する事は無かった。ついには、食べてはならぬと警告された、その味のしない、やけにもそもそとしたリンゴを飲み込んでしまった。

「あー! あの外国の人、魔女の毒リンゴ食べたー! やっべー!」

 子供の声がした。 ビスカイノを見守っていた山崎が振り返り、母親らしき女性にたしなめられながら道を歩く子供が、必死にビスカイノの方を指差しているのを確認した。

「死んじゃうぞ! 白雪姫みたく毒リンゴ食うと死んじゃうんだぞ!」

「なんと、毒とな!」

「ウム!?」

 突如、毒リンゴを食したと宣言されたビスカイノ。ついに毒が回ったのか、その場で卒倒した。駆け寄る藩士達が彼を助け起こし、一番近くに居た山崎がその手を取った。

「む、無念ダベッチャ。道半ば、故郷の土を踏む事もでぎねまま、毒を盛られて死ぬダベか」

「カイ殿! 死んではならぬ! 死んではならぬ!」

「ヤ、ヤマザキ、気をつげっベ。ノビスパンは……、イスパニアの支配に全て従ってる訳じゃないダベッチャ。こうして毒を盛り、要人を暗殺すべと思でる者は多いダバ」

 山崎に握られたビスカイノの手が、次第に弱々しくなっていく。

「カイ殿!」

「これは……、強国イスパニアの暗い影デガス。い、いずれ仙台のマサムネも、ハポンも、強い国を作ろうとすべ。でもその時、その影で虐げられる者らを忘れてはいぐねデガス」

 山崎の慟哭。既にビスカイノを中心に囲む藩士達の輪ができあがり、彼らの誰もが涙を流していた。美しい春の花々の前で、侍達と一人の外国人が泣いている。その光景にいつの間にか、周囲を歩く現地の者達も足を止め、その様子を見守っていた。

「フフ……、皆と旅をでぎた日々、夢のようダッチャ。た、楽しかった……、ダデ……」

「カイ殿ォーッ!」

 ビスカイノの手がはらりと地面に落ちた。

 後には藩士達の、鬼もこの声を聞けば涙を流すかと思う程の、沈痛な叫びが木霊していた。

 何故か、周囲を取り囲む現地の者達は拍手でそれに応える。まるで良くできた芝居か舞踊を見届けた時のように、何時までも止まぬ拍手を送った。それが現地での特別な作法だと割り切り、山崎達は有難く受け取った。

 リンゴを手渡した老婆仮面は、所在無さげに立ち尽くしていた。

 恐らく慶長十九年、正月の事であった。

 


6

 

「ハッピー! ニュー! イヤー!」

 アカプルコのメインストリートに響く、女性の声。

「ニューイヤーパレードへ、ようこそー!」

 声の主たる女性は全身を羽飾りで彩り、山車に乗り込み、聞きなれない言葉を大音量のままなおも紡いでいく。かくも大きな声を出せるとは、何かしら特殊な訓練をつんだものかと感嘆する支倉常長ら使節団一行が、彼女の乗る山車のすぐ後ろを粛々と列となって歩く。また常長らの後にも、華美な装飾が施された山車が続き、山車に乗る者も乗らぬ者も、踊り手として愉快な歌舞音曲を持ってその行列を盛り上げる。

 この行列を周囲で眺める現地の者達も、手を叩き、笑いあい、一様に愉快そうである。

「ソテロ殿! ノビスパンの祭りは愉快でござるな! 特にあの山車など、津軽で見たねぶたの物とよう似ておる!」

「Si、Si、私もこんなに愉快な祭りがあったとは知りませんデシタ。時代は変わる物デス」

 ルイス・ソテロも実に楽しそうに応えた。

 先程から、常長らは例の小柄による儀仗礼を受け続けた為、それへの対処も慣れた物である。侍さん、などと名前を呼ばれればそちらを向き、にこやかに笑いかけ、手を振られれば振り返す。戦場での行軍、あるいは練兵の折にもこのような賑やかな行列を歩いた事は無い。

「支倉殿! こうして歩いておれば、カイ殿達が見つけてくれるでしょう!」

 支倉の前方、旗持ちを務めた細谷正左衛門が楽しそうに言う。

「しかし名案! 飛び入り参加おうけい、なるこのぱれえどに参加するとは!」

 次いで細谷の後方、露払いとなった日下部利三もまた、酒席で見せた顔と同じ物を浮かべて言う。

 常長らは先頃のトロッコでの狂乱から立ち直り、揃いも揃って街中を歩いていた時、祭りの仮面であろう、陽気そうな顔をしたクマと出会った。言葉を話さない事が祭りの流儀なのか、身振り手振りで常長らを、このニューイヤーパレードという物に誘おうとし、意を汲んだ常長らも喜んで参加したのだ。

 常長らを誘った陽気そうな顔をしたクマの他、鎧に身を包んだロバ、ネコやウシなど、現地の風俗に合わせた造形の仮面を被った者達もまた、常長らと共に中央通りを練り歩く。彼らも彼らで人気らしく、小柄の儀仗礼を幾度も受け取っていた。

「ぬはは、見られませい支倉殿! あのウシなど、民芸品の赤べこによう似ておりますぞ!」

「然様然様! がはは! よう気づいた細谷!」

 こうした陽気な行軍が五間(十メートルくらい)ほど続いた所で、前方でやにわにどよめきが起こった。衆人の中を駆けていたそのどよめきは、常長らが歩いている中央の方へと抜け出し、列を大きく崩した。

「待てい! 刺客よ! カイ殿の仇ぞ!」

 こう叫んで飛び出したのは他ならぬ山崎源衛であり、追われていたのは老婆の仮面を被った者である。

「山崎!」

 常長の叫びを聞き、大上段に構えていた抜き身の刀を返し、一度そちらを向く。

「支倉殿! かような所で会おうとは! しかし止めてくださるな。きゃつはカイ殿を、カイ殿に毒を盛って殺しもうした!」

「なんと真か! なれば我らも助太刀致す!」

 常長の指示を受け使節団一行も各々刀を抜き、短兵急、老婆に向かい雪崩れ込む。同僚であるセバスチャン・ビスカイノを失った悲しみからか、宣教師であるはずのソテロも拳を握り締め立ち向かう。

「お助け!」

 老婆の声である。

「問答無用!」

 翻然! 常長の袈裟がけの一太刀を防いだのは、鎧を着込んだロバが持つ幅広の西洋剣であった。

「な、何奴!?」

「やぁ、ボクはドンキナンテだよ! ここは愛の国だから、こういう危ない事はしちゃダメなんだよ! ダメなんだよ、お客様!!」

「すわ!」

 二合、三合。

 決して剣術が得意ではない常長であったが、それでもぴたりと剣を合わせるロバの力量に感服した。周囲を見れば、他の藩士もネコやウシと乱闘騒ぎを起こし始め、遠き地で異貌の集団とかくも争う羽目になると、出航前に誰が予想し得たであろうか。

「よくもビスカイノを!」

「来るか! お客様!」

 ソテロと陽気そうな顔のままのクマが、拳を交わし闘っている。かつてソテロは、その技をボクシングと呼び、宣教師なら誰でも覚えている護身術だと言っていた。相対するクマも同様の技を使い、ソテロと同等に渡り合っていた。

 さて、なおも乱闘騒ぎが治まる気配は無かった。

 常長が刀を振るえば、ロバがそれを受け払う。山崎はネコに阻まれ、細谷とウシは取っ組み合い、ソテロとクマは互いに互いを殴り続けた。当初、周囲の者らから漏れていた悲鳴は、やがて歓声と怒号に変わり、双方の勝負の行方を熱狂的に見守った。

 しかし。

「やめるダベッチャ!」

 もはや懐かしき、よく解らない仙台訛りが響く。

 常長らが手を止め、声の主を確認すれば、それが幻聴でない事にすぐさま気づく。

「カ、カイ殿……」

 ビスカイノが一人の女性に肩を担がれて現れた。彼は死んでなどいなかったのである。

「皆……、オラが紛らわじがったダベ。あれ、毒リンゴなんかじゃなかったデガス。ただちょっと喉に詰まったダデ、この女性に助けで貰ったデガス……」

 ビスカイノの言葉を聞き、常長は何も言わず刀を鞘へと戻した。ソテロも馬乗りになっていたクマから降り、神への祈りを捧げる。山崎も細谷も日下部も、皆が皆、仲間であるビスカイノの生還に涙した。

「復讐をする必要なんて無ぇガ。これこの通り、オラは生きてるダッチャ!」

「カイ殿!」 常長を始め、使節団の面々がビスカイノを取り囲み、その無事を抱き合って確かめた。

 彼らを見守る周囲の人々からは、拍手が起こった。山崎はそれが、現地での礼儀なのだと伝え、常長もそれを一身に受け止めた。

「お客様、ちょっと」

 喝采の最中、常長が陽気そうなクマに呼ばれた。先程までの乱闘を忘れていた事に気づき、謝罪しようとした所で、クマの左右から現れたウシとネコに腰に差していた刀を取り上げられた。それは周囲の藩士も同様で、刀や槍など武器となる物全てが没収されたのだ。

「な、何を!?」

「玩具でも大変危険ですので、当園にて預からせて頂きます。ご了承ください。退園の際に返却致しますので、その際にお申し付け下さい。では、再び愛の国をお楽しみください」

 常長らは自身達の起こした騒ぎを思い出し、これ以上強く言う事など到底できなかった。気恥ずかしさからか、後に慶長遣欧使節の回顧録にはこういった旨で記されている。

「メキシコシティで盗人を無礼打ちしたが、総督から武器を取り上げるよう命じられ、仕方なく従った」

 史実である。

 


7

 

 支倉常長ら一行は、武器は取り上げられたものの、無事合流する事ができ、改めて本来の目的である、ノビスパンの副王庁を目指す事となった。

「しかし、何やら矢の如く色々な事が過ぎていったような気がするでござる」

「Si、私もまるで一日の間に何百年分も過ごしたような気持ちデス」

「してソテロ殿、この先の旅程はどうなるんであったかな」

「そうデスネ、副王庁に寄った後はベラクルスの港でイスパニアの船で本国に向かうデス」

 なるほど、と答え、常長はそれ以上は一言も喋らず、沈みゆく夕日を背にして一同と共に歩いていく。彼はこの旅で必ずしも全員がイスパニア本国に渡る訳ではない事を知っていた。商人のほとんどが、先程から見てきた、現地に土着した日本人のようにこの地で暮らす事を選ぶようだし、帰国の途まで後数年かかるとすれば、この地で妻を貰い、子を儲ける藩士も現れてくるだろう。とすれば、この地での別れが今生の別れとなる事が予想できたのだ。

 長い間、船上で笑い過ごしてきた仲間。使命を帯びて、ここまで共に来た者達との別れを想像し、常長は心に熱い物を感じずにはいられなかった。

「Oh! なんという事デショウ!」

「いかがした? ソテロ殿」

 ソテロは言葉でなく、前方を指差す事でその驚きを伝えた。

 そこにあるのは堅牢そうな石造りの宮殿。白亜の壁が夕日を反射させ、手前に広がる池から噴出す水の一粒一粒が、長き航海の中で見た星のように煌いていた。

「ぬお! あれはパラシオ・デ・オリエンテ! オラ達、イスパニアの国王が住む城デガスよ!」

「Si! Si! 何故ここにあるデスか?! まさか遷都したデスか!?」

「ぬぅむ、理由は解らぬが、とまれ彼の地へと参りましょう。副王庁なのやもしれませぬぞ」

 常長の提案を受け入れた二人のイスパニア人。常長がその心持ちを推し量った時、もしも懐かしき仙台の居城青葉城が、イスパニアに移築でもされていたらと思い、二人の狼狽ぶりをしかと理解した。

 やがて常長ら使節団は、見学の者と思われる現地の日本人と共に、案内人の女性の指示を受けて宮殿の内部へと入ろうとしていた。案内人は懇切丁寧にこの城の由来を日本語で語り、その説明に常長らも感心し、ソテロとビスカイノはしたり顔で聞いていた。

「さぁ、この奥の部屋に行くと、いよいよ国王様に会えますよー」

「国王がいるデガスか?!」

 素っ頓狂な声を上げたビスカイノに、案内人の女性は優しく微笑みかけ、います、と簡単に答えた。しかしそれを受けたビスカイノは在り得ない事だとばかりに、頭を抱えて悩み始めていた。

「カイ殿、そうお焦りになられるな。よもや我々を出迎えに来てくれたのやもしれぬぞ」

「う、うぅむ」

「さぁ! みんなー、国王様に謁見しましょー!」

 案内人の陽気な声と共に、ひとりでに重厚な扉が開き始めた。

 だが、それと同時に周囲を黒い霧が多い、紫や赤の光の筋が鋭く差し込まれた。

「ヌハハハハー! 愚かな人間どもめ、まんまと誘き出されたな!」

「な、何事か!?」

 腹の底から響くような、何処からの物とも知れぬ不気味な声が、常長らを襲った。

「キャー! こ、これは魔王よ! 魔王の声よ!」

「魔王! 魔王とな!」

「サタン! サタンダデバ!」

 異様なる出来事! 突如として噴き上がった黒霧、それを貫く閃光と雷鳴。大地の鳴動ここに極まり、世の終末かくやあらんと誰もが思うであろう畏怖すべき光景。

 国王の間であったはずの壮麗な部屋には、先の見えない奈落が広がり、その先に五間はあろうかという巨躯の影! 魔王と呼べば魔王、サタンと呼べばサタン。彼の者が控えて無垢なる者らをいざ食らわんと待ち構えている!

「ええい! なんたる事、よもやノビスパンが魔王なる悪鬼に支配されていようとは!」

「大変です! このままでは世界は魔王の手に落ちてしまう! ああ、こんな時に伝説の勇者が、あの魔王を倒せるという勇者が居れば! 誰か、誰か魔王と戦う勇気のある人はいませんか!」

 哀願する案内人。魔王と呼ばれる者に城を乗っ取られれば、それを打ち倒す者の登場を希うだろう。通常なら彼女の声が届く事など無かったであろうが、これは奇跡か神の御業か。

「ここに居るぞ!」

 山崎源衛が一気に部屋の中へと躍り出る。

「ここにも居るぞ!」

 日下部利三は他の見学客を守るように、前方に立ちはだかる。

「我ら、勇猛果敢な伊達家中の侍! 退く事など決して在り得ぬ!」

 細谷正左衛門が常長を補佐するように控える。

「あ、あ、えーと、ゆ、勇者は子供の中から現れると言われています! 誰か、誰か戦える勇者は……」

「ならぬ!!」

 常長の強い語気に、そろそろと手を挙げようとしていた齢五、六歳の子供らが即座に手を引っ込める。

「かような男ノ子、女ノ子を戦わせる訳には行かぬ! 行かぬのだ!」

「あ、あの……」

 案内人が困ったような顔をする。恐らくは常長ら使節団の勇猛さに、面食らっているのであろう。

「僕……、別にいいよ、おじさんがやりたいんだったら、やりなよ」

 どこか投げやりなものを感じる男児の物言い、次いで他の男児や女児も口を揃えて常長らに魔王退治を乞う。

「Oh、しかしツネナガ、私達、さっき武器を取り上げられたから戦う物が無いデス!」

 ソテロの言葉を聞いて、案内人はまるで助け舟でも出されたかのようにパッと顔が明るくなった。

「そ、そうです! 魔王を倒すには伝説の剣が必要で、それを手にする事ができるのは子供だけで……」

「支倉殿! こんな所に剣が!」

「でかした、山崎!」

「隠してたのに! ああ! もう!!」

 いよいよもって、先程から咆哮を轟かせていた魔王の恐ろしさに案内人は涙を流し始め、子供達も、あまりの恐怖からか放心状態となっていた。

「支倉殿、受け取られい!」

「応!」

 はし、と煌びやかな装飾が施された西洋剣を山崎の手から受け取り、それを魔王の方へと向ける常長。

「き、貴様はー、勇者ー!」

 さしもの魔王も勇者なる者の登場に怯えるのか、その声は機械的ですらある。

「魔王よ! 覚悟せい!」

 紫電一閃。常長の手元の剣から異様な稲光が放たれ、魔王の眉間を衝く。

 それは剣の冴えであったか、武技の極地か、ともかくも常長が使った驚くべき攻撃により、魔王と呼び恐れられた存在は断末魔の悲鳴を残して雲霞となって消えていく。

 後には壮麗な王の間だけが残り、これにて世の平和、ノビスパンの治安を守ったのだと、使節団の誰もが満足げな表情を浮かべていた。

「勝ち鬨じゃあ!」

 常長の号令に、使節団はえいえいおうの掛け声で答えた。

 遠き異国の地、果たして誰が彼らの活躍を知る事ができるだろうか。それでもノビスパンを救った英雄として、彼ら慶長遣欧使節団の名は語り継がれていくに違いない。

「これ……、記念のメ、メダル……です」

 先程から涙を流す案内人が、謝礼のつもりなのか常長に銀貨を渡す。彼女もまた、この英雄達の姿を忘れる事は無いのであろう。

 

 

8

 水面が夕日を反射させ、金紗を織る。

 その船は二度汽笛を鳴らし、岸で見送る者達へ最後の別れを告げる。

「さらばノビスパン」

 慶長遣欧使節副使、支倉常長は静かにそう言った。

「支倉殿ー! 支倉殿ー!」

 漸次離れていく岸辺を、何人もの侍が駆け出していた。山崎源衛、日下部利三、細谷正左衛門、その他の藩士、商人。この地で別れる事を決めた者達が、離れがたい思いを常長を一心不乱に追う事で昇華させていった。

「ツネナガ、皆見送りに来てマス。行かないデスカ?」

 宣教師ルイス・ソテロが言う。探検家セバスチャン・ビスカイノは、何も言わずに常長の肩に手を置いた。

「侍の別れに……、涙は不要でござる」

 夕日は未だ彼の背にある。常長の向く先は、遠き地イスパニア。既に夜の訪れた、暗い暗い海が広がるばかり。

「ハポンの侍は、不器用デガス」

 後は何も言わず、イスパニアを目指す者達だけで船旅を続けていたが、始めにその異変に気づいたのはソテロであった。

 不可思議なのだ。出航の際は背中を照らしていたはずの夕日が、いつの間にか前方にあって、瞼を細めさせる。思えば確かに、この船はまるで小さな池を一周しているような気すらするが、そのようなはずも無い。周囲の光景は現地のインディアンや、岩場や森ばかりの小島、これから大洋に漕ぎ出す船にしては、いささか不自然な物だが、疑う理由にもならなかった。

 彼らの声を聞くまでは。

「支倉殿ー! 支倉殿ー!」

 眼前、右手の岸辺に先程見送ったはずの使節団の者達が居る。

「支倉殿ー! はせっ、あ! 帰ってきた!」

「ぬぅ! 皆の衆! イスパニアより帰って参ったァー!」

「No、No、違いマス! これ一周しただけデス!」

 その時である。先程まで感じなかった潮の香りが常長達の鼻に届き、濃く湿った潮霧が現れ始めた。大地と海、海と空との境界が霧によって曖昧になりつつあった頃、ソテロが声を上げた。

「ツネナガ……、上を見るデス」

「うむ?」

 ソテロの視線の先、マストの先端に青い炎が揺れていた。

 常長がその火の名前を思い出した頃、激しい閃光と轟音、浮遊感が一体となって襲ってきた。

 


9

 

 サン・フアン・バウティスタが仙台月ノ浦を発ってより、七年の後。

 ルイス・ソテロとはフィリピンのマニラで別れた。セバスチャン・ビスカイノとはイスパニアで別れた。多くの仙台藩士がノビスパンに残った。多くの仲間と別れ、今一人、支倉常長が仙台は青葉城で藩主伊達政宗と謁見していた。

「使節の役目は書状にて知っておる。後は支倉、お主個人の意見を聞きたい。で、どうであった、外国は」

「実に愉快な所にて」

 あの年の正月から、いくらか老け込んだ常長は、それでも当時のままの眼光で応えた。その胸にあるのは、かつての仲間達との冒険の日々。忘れがたき、心躍る日々であった。

「ふむ、して、わしに献上したい物があると聞いたが」

「はっ! これに!」

 常長は前に這い出て、背で隠していた一振りの剣を取り出した。それこそなんであろう、あの時に魔王を倒した伝説の剣であった。

「この剣、神妙不可思議なる剣にて、一度振れば紫電を放ち、魔王をも退散せしめる霊剣にござる」

「ほう」

 政宗が興味深そうに剣を手に取り、一通り眺めた所で庭の方に切っ先を向けた。

「わしも、海向こうに行ってみたくなったわ」

 政宗が剣を振った。

 あの時魔王を倒した稲光が出る事は無かった。

「…………」

「…………」

 梅の木でウグイスが鳴いた。

 

 

〈了〉

 

 

読了後の感想をお伝え下さい