1
不思議なこともあるもので。
「ぐぎぎ」
高校のお昼休み。
向かい合わせた机――脇に手つかずのお弁当が置いてある――に突っ伏して、栗色のセミロングが広がっている。ついでにそこから伸びた大きなリボンのカチューシャが、対面に座っている私の胸に当たってる。
「ぐむむ」
そうして、今日(きょう)ちゃんが唸ってる。
がばっ、と。
「ちょっとぉ、めろ! 少しは心配しなさいよ!」
泣き出しそうな顔で、今日ちゃんがわめいてる。
ちゃんとしてるよ、心配。
「慈悲深そうな顔で見つめるなぁ!」
私のほっぺを両手で引っぱり始める今日ちゃん。背が低い――公称140センチだ――ために、中腰になって一所懸命にこちらに手を伸ばしている。
痛がっておこう。
「いいかぁ、よく聞けよ、めろぉ。私はなー、悩んでるんだぞぉ」
「珍しく」
「勝手に副詞つけんな!」
ぐみー。
「今日ちゃん。お弁当、早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
「話逸らすなよぉ! ちゃんと食べるからさぁ」
やっぱり、お腹は減っていたのだろう。今日ちゃんは、いつもより貪欲な感じで、ぱくぱくとお弁当にありついている。
「めろは、いいよなぁ、悩みとか、って、うわ、ママってば、またちくわ入れてる……。うう、入れないでよ。で、いいよなぁ、悩みとかなさそうで」
そうでも、ないんだけどね。
「それで、さ、悩み事の話なんだけど」
あ、さっきの話、続いてたんだ。
「めろは、さ、結婚願望とか、あるタイプ?」
「ないよ」
「即答だな!」
うーん、だってまだ高校生だし。解んないよ。
「ま、まぁ、私も無いっちゃ無いタイプなんだけど、最近、結婚ってなんだろうな、って考えちゃって」
もじもじ、と。
「おませさんだね」
「黙れよぉ!」
ぐむ。
怒ったついでに、私の口にちくわチーズを押し込んでくる今日ちゃん。
「まぁ良いから聞きなさいって」
もぐもぐ。こくり。
「実は、私の親戚に三十路間近のお姉さんがいるんだよ。で、この人が最近、ついに結婚することになったんだけど」
それは良いことだ。
だけど、どうにも今日ちゃんの顔は浮かばない。
「それがさぁ、なんとも波乱続きらしくて、そのお姉さんの両親とかが、相手の人と別れろとかなんとか、外野がうるさくしててさ。いやそれが、そもそも変な理由なんだけど、とにかく親戚一同巻き込んで問題になっちゃってるのよ。もう訳わかんない。結婚するのって、こんなに面倒なことなのよ」
ふぅ、と溜め息を吐く今日ちゃん。
親戚一同の問題になっているらしいから、家族に愚痴をこぼすのは気が引けるのだろう。私あたりに話して、これで一応は胸のつかえも取れたのかもしれない。
「だから私が言いたいのはね、めろ」
ぐっ、と可愛いウサギ柄のフォークを握って。
「結婚する時はね、顔より人柄より、何より家族と上手くやっていけるか、ってことなのよ!」
なんだか、テレビに出てくるご意見番のマダムみたいなこと言い始めた今日ちゃん。
「まぁー、私くらいになると、結婚にも冷静な視点を持ち出しちゃう訳よ」
「彼氏いないのにね」
「もっと食えよぉ! ばかぁ!」
ぐむ。
ちょっと涙目の今日ちゃんを観察しつつ、口の中と、頭の中にあるものを咀嚼する。
それはきっと、私が推理小説とかが好きで、身の回りの色んなことが気になって仕方ない性分――あんまり人には言わないから多分みんな知らない――だからなんだと思う。
でも、気になっちゃったら、聞いておきたい。
「あのさ、今日ちゃん」
「なによう」
それは不思議なことに近づきたくて。
「変な理由って、なに?」
2
バニラのような香りの中で。
「ということが、ありました」
私がそう言うと、その子は座っていたアンティークチェアから降り、何の気なしに辺りの骨董品を並べ直したり、値札を確認したりする。
そして、そのまま私の方に近づいてきて。
「うん、それでさ」
ふわふわの猫っ毛に、色素が薄い肌。ヘーゼル色の瞳を持った、西洋磁器人形みたいな男の子が桃色の唇を開く。
「なんで僕のとこに来るのかな?」
苦笑と苦虫を噛み潰したような顔を足して二で割ったような、って、それじゃ大半が苦い顔だ。
とにかくそんな顔をして、男の子が私に視線を向ける。あと小首を傾げた拍子に、柔らかな髪が揺れてる。
「うーん」
私はきっと、この小さな男の子――確か十二歳って言ってた気がする――に何かを期待しているのだ。
男の子の名前は千里耀(せんり あかる)くん。
中野ブロードウェイの四階という、なんとも不思議な場所に店を構える骨董屋さん「仙狸堂(せんりどう)」の若い店主――何か事情があるのだと思うので、これも気になる――なのだそうだ。
私は前に、ちょっとした折に、この仙狸堂を訪れ、そこで自分の身の周りで起きていた、小さな不思議をこの子に話してみた。すると、アカルくんは抜群の推理力で、その事件の裏側を明かしてみせてくれた。
だから、それ以来、私はアカルくんのことを、こんな風に思っている。
「イケメン探偵、だから?」
「変なジャンルに僕を放り込まないでよ」
いよいよ幼いながら渋い顔になってきたアカルくん。
それでもアカルくんは何かを諦めたのか、自らのドレスシャツの袖を二、三回いじった後、再び店内に置いてあるアンティークチェアに深く腰掛けた。
「お姉さんは本当に変な人だね。ウチに若い人が来る時点で珍しいのに、色んなものに興味を持ってて、それを持ち込んで来る」
「ダメ?」
「ダメじゃないよ。ウチはそういうお店だもの。今、自分が一番欲しいものを探しに来るのさ。何かの答え、だったりね」
そう言って、アカルくんはやっと「ふふふ」と顔を綻ばせてくれた。
「それじゃ、話を聞こうかな」
ふんわり、と、鼻の先をくすぐるような声で。
「その、変な理由ってやつ、を」
うん、それが――。
信じられない!
って、最初に怒ったのは、今日ちゃんの親戚のお姉さんだったそうです。
「ねぇ、今日もそう思うでしょ! 彼ってば、常識が無いのかしら? いくら外国人だからってぇ」
と、今日ちゃんが、そのお姉さんのモノマネをしながら――知らない人なので全然面白くないです――私に感情豊かに語りかけてくる。
学校帰りのスイパラで、今日ちゃんは私の分までケーキを持ってきてくれて、とにかく接待モードで私に事の顛末を話したかったらしい。
「そう、そのお姉ちゃんの旦那さんになる予定だった人は、外国人だったのです」
「国際結婚だ」
「そーなのだ。だから悪いなんて短絡的な思考には陥らない私だけど、話を聞くと結構な事件があったらしいのよ」
事件、という言葉には私も反応する。
うん、これは気になる。
「ふふーん、めろも気になる、って表情ねぇ。いいだろう、教えて進ぜよう、その事件とやらを!」
そう口走る演技過剰な今日ちゃんの話を、一部、彼女のモノマネも織り交ぜて再現すると次のような感じになる。
「オー、これが日本の春のお祭りデースカー?」
ある時、彼氏のロドリゲス(仮名)さんは、結婚の挨拶の為、お姉さんの実家を訪れ、そんなことを言ったとのこと。
さらに、次に。
「人形がいっぱいデスネー。これはナンデスカー?」
と、言ったそうな。
なんでも、居間に飾られていた立派な七段飾りの雛人形を見て、感動したのだという。それもそのはずで、その雛人形は、お姉さんの実家で代々大切にされている、結構なものだったらしい。
「そうなのぉ。これが雛祭りよぉん。うふーん」
次第に今日ちゃんのモノマネがこっぴどくなっていくお姉さんが答えると、彼氏さんは、お姉さんの家族が集まっている中で、突如として――
「この人形、燃やしマスカー?」
そんなことを言ったらしい。
当然の如く、お姉さんの家族は全員、凍りついたような反応をしたようで。そんな様子に、最初は何かの間違いだろうと、お姉さんが心配して聞き返したりした結果――
「燃やさない? これ、燃やさないノー?」
そこまで来て、ついにお姉さんも開いた口が塞がらなくなってしまって。
「信じられにぁい! ぷんぷん!」
ぷん、の所で頭を左右に振る今日ちゃん。リボンが揺れている。
「と、行き遅れ間近のお姉ちゃんが言ったワケ。っていうか、彼氏に見せる為に三月半ばまで雛人形出してんなよなぁ。そんなだから結婚できないんだよぉ」
けっ、と、わざとらしく薄汚い表情を見せる今日ちゃん。
本当はお姉さんのことが心配なんだろうな。
「それだけなら、まぁ、雛祭りの文化も知らない相手だし、ちょっと破天荒な冗談で済んだんだろうけどさ、その後も、ちょっとまずかったみたいなのよ」
「そうなの?」
ずこっと……、とかっていうケーキにフォークを突き刺して、思案顔の今日ちゃん。
「その相手の外国の人がね、雛人形を見てる時に、不注意で落としちゃって、お内裏様を壊しちゃったのよ」
それは、大変だなぁ。
「ただのミスなのは、周りの人が見てたから解ったんだけど、なにせさっきの燃やす発言の直後だったから、もう家の人は全員ぷんぷんよ」
ぱくぱく、と、ストレスを発散するように甘いものを口に放り込んでいく今日ちゃん。
「それでもお姉ちゃんは、一応は最後まで庇ったらしくて、その場はなんとか収まったみたい。彼氏さんの方は、ちょっと非常識な外国人、って、受け取られたみたいだけどさ、さすがに結婚まで考えてる仲でしょ、みんな我慢ガマン」
ぱくぱく。
「でもねぇ、まだあるのよ、これが」
ぱくぱくぱく。
「彼氏さん、さすがに壊したことは申し訳ない、って言って、弁償しようとしたらしいのよ」
ぱく。
ぎろり。
「っていうか、めろ、さっきからなんか、私に変な実況つけてない? 頭の中で」
つけてないよ。全然。
「こらぁ! めろ、貴様、つけてるな!」
ぺちぺち。
今回は伸ばした両足で、私の太ももを左右から叩く手法に出た今日ちゃん。
「それで、彼氏さんどうしたの?」
「あ、うん、それがさぁ」
今日ちゃんは、両手でメロンソーダを抱えて、ストローをくわえて遊びつつ。
「なーんかズレてるんだよねぇ。雛人形の弁償だっていうのに、陶器製品のカタログを見てたらしいの」
「陶器製品?」
「うん、結婚式の引き出物用のみたいのでさ、そういうのばっかり載ってるやつ。それを見てさ、ついにお姉ちゃんもキレたみたいで、日本文化に理解がないのは仕方ないにしても、弁償する品を、結婚式の引き出物でごまかそうとするなんて、絶対に許せないわー、って」
「それで、結局はどうなったの?」
「うーん、絶賛ケンカ中って感じかな」
それはあんまりな話だ。
家族の人と仲良くできない、というのは、結婚において重要な障害なのかもしれない。
ましてや国際結婚で、文化の違いを乗り越えていく、なんていうのは当人同士だけでなく、周囲も巻き込むものだから、そのお姉さんの家族も敏感になっているのだろう。
でも。
それにしたって、変な理由。
感覚がズレてる、っていうには、お姉さんの雛人形が大切なことは理解してて、弁償をしようと考えてる真面目な感じ。そういう人が、冗談でも人形を燃やすとか言うだろうか。
「ねぇ、今日ちゃん」
「ん、なに?」
ぶくぶく、とソーダを吹きながら。
「その相手の外国の人って、普段からそんな、常識が無いっていうか、破天荒な人なの?」
「ああ、それ。そうね、お姉ちゃんもそこは不思議がってたわ。普段は真面目で大人しい人なんだってさ。確かに情熱的な所はあるみたいだけど」
それじゃあやっぱり、変な理由なのかな。
「人形はなぜ燃やされる」
「え、なに? なんか言った?」
ふるふる。
なんでもないよ、こっちの話。
「めろ、なんか、たくらんでない?」
ううん、そこまでは。
でも、もし解決できるとしたら。
それはきっと――。