「それで結局、話を聞いて欲しくてやってきた訳だ」

 こくこく。

 私が頷くと、アカルくんは小さく肩をすくめる。

「冷やかしでも良いけどね、たまにはウチで何か買ってって欲しいかな」

「じゃあ、これ買う」

 と、私は、さっきの素朴な木彫りの鳥を持ち上げる。

「い、いや、それは……、売り物じゃないから」

「売ってないの?」

「兄さんが勝手に置いただけ、っていうか、なんていうか」

「お兄さんいるんだ!」

「変に食いつかないでよ。っていうか、前にいるって言ったはずだけど」

 ふんふん。よく覚えてないや。

「まぁいいよ、兄さんの話はなしね。面倒だから」

 困った風にして、アカルくんは少し赤くなった頬を掻いている。お兄さんのこと、好きなのかな。

「それより、お姉さんは相談事があったんじゃないの?」

 そうだった。

 私は入谷さんが見せた態度について、アカルくんならば何か解るのではないかと思って、この仙狸堂まで来たのだ。

 普通なら、小学生の男の子に何かを聞いて貰うなんて、変に思われるかもしれない。だけれどアカルくんは、その辺の大人の人よりもアンティークに詳しい。だから、あの金色の鳥籠のことも知ってるんじゃないか、って。

 それにアカルくんは、何よりも物が好きな人、そして、そこに込められた意味を見つけ出せる人――。

「キュリオハンター、だもんね」

「お姉さんが、そんなにその言葉を気に入ると思わなかったよ。もう使うのよそうかな」

「かっこいいのに……」

 まぁいいや、と、この一瞬だけは子供っぽく、元気にアンティークチェアから飛び降りたアカルくんは、そのまま店内の一角に歩き出して、適当に品物を見繕っている。

「お姉さんが知りたいのって、鳥籠のことでしょう?」

 これまた名推理。

 ごそごそと棚の裏に回って、何かを探しているアカルくん。私はそれを見守っている。そうすると、僅かな沈黙の中で、小鳥がさえずるようなタイミングで、

「フェリックスは、人が鳥を籠の中に閉じ込めておく気持ちが解らないと言う」

 と、いきなりの言葉に、私は首を傾げる。

「ルナールの詩だよ。鳥のいない鳥籠。そしてこう続くんだ。僕は空の鳥籠に鳥を入れたって良い。だけど僕がそれをしない限りは、少なくとも一羽だけは自由な身でいられる、ってね」

 ひょこ、と棚の影から顔を出して、アカルくんは少しだけ恥ずかしそうに口をすぼめる。

「鳥籠にいない方が、鳥にとって幸せ?」

「さぁね、僕は鳥じゃないから解らないよ。でもね――」

 アカルくんは、呟きながら何かしらを一所懸命に引き出しているように見えた。

「そのお婆さんは、そういった気持ちでカナリヤを外に出した訳じゃないと思うよ。明確な理由があるのさ」

 どういうこと?

 そう、私が聞くより先に、アカルくんは棚の影から体を出して、よいしょ、と一声。

「日本だと馴染みが薄いけど、鳥籠はアンティークの一種として欧米だと高値で取引されてるんだよ」

 そう言ってアカルくんが取り出したのは、まるでドールハウスのような、屋敷の形をした鳥籠だった。

「これはヴィクトリア調形式の鳥籠だよ。もっとシンプルなのもあるけど、逆に尖塔がいくつも連なっている、そのままお城みたいな形の鳥籠もある」

 アカルくんは鳥籠を、とん、とテーブルの上に置いて、私にも良く見えるようにしてくれた。

 それは細い金属で檻が作られてはいるけれど、どちらかといえば針金細工のような、とても細かくて流麗な形をしたものだった。

「鳥籠の歴史は、それはまぁ、鳥を飼い始めるようになってからだから、相当に古いんだけど、初期のものは単なる籠みたいなものだった。それが、こんな風に発展していくのは、十四世紀以後、フランスやオランダで鳥籠職人が貴族の為に作るようになってから」

 私は貴族のお城でさえずる小鳥を思い浮かべた。

「その後、大航海時代が始まると、ヨーロッパに海外の珍しい鳥が持ち込まれるようになった訳だけど」

「オウムとか、インコ」

「そう。そういった鳥は貴族のものだから、それを入れる鳥籠にも、豪華な装飾が施されるようになって、いわゆるアンティーク調の鳥籠が誕生したのさ。この頃は、イギリスやフランスで多く作られたかな」

 でも、とアカルくんは少し暗い表情を作る。

「こうしたインテリアとして作られた鳥籠はね、中は決して広くないし、美しさや加工のしやすさから、多くは鉛が含まれてたりするんだけどね」

「それじゃ、鳥、病気になっちゃう」

「だろうね」

 私はここでもまた、ひどく悲しくなった。

 昔は鳥の為に作られていたはずの鳥籠は、人間がきれいなものを置きたいから、という理由で、いつしか中に入れるはずの鳥のことを無視し始めていた。

 あのカナリヤと同じだ。

「お姉さん」

 アカルくんは、いつの間にかアンティークチェアに座りなおしていて、目を瞑ったまま優しい声を上げる。

「そんな風な顔をしないでよ」

「変な顔、してたかな」

「してたよ」

 私はなんだか恥ずかしくなって、テーブルの上に置かれた、屋敷型の鳥籠に目を落とした。

「そんな心配しなくても、最近はアンティークの鳥籠を飼育用で買う人はいないよ。インテリアとしての価値で取引されてるだけだから」

「そっか」

「その後、二十世紀に入るとアメリカのヘンドリックスが鳥籠を真鍮で作るようになった。このヘンドリックス製の鳥籠はシンプルな形状だけれど、アール・デコ調のアンティークとして人気があるよ。もちろん、普通に鳥を飼うのにも適している」

「それなら、良かった」

 自然と零れた笑みに、アカルくんが反応してくれたのかは解らなかったけれど、それでも「ふふふ」と笑ってくれたのが、なんだか嬉しかった。

 こんな風に、アカルくんからアンティークのことを教えて貰えたのは良かった。少しだけ、胸を刺すものがあるけど、入谷さんがあの鳥籠を大事にする理由も解った。少し悲しいけれど、あのカナリヤ以上に価値の鳥籠もあるのだ。

「お姉さん、もしかして納得とか、しちゃった?」

 うん、と頷く。

 それに対してアカルくん、子猫が悪戯するみたいに、顔をしかめさせてみせる。

「お姉さんがそれで良いならいいんだけど、僕としては、その入谷さんってお婆さんの為に、少しだけ弁解させて貰いたいかな」

「弁解? アカルくんが?」

「そうだよ。それくらい珍しい物を愛してくれてる愛好家の人の為に、一人のキュリオハンターとして」

 言いながら、アカルくん椅子から降りて、今度はさっきとは反対側の棚へと近寄って行く。

「十八世紀にね、スイスにピエール・ジャケ・ドローっていう人がいたんだ。この人はオートマタ、からくり人形の発明家だった」

 からくり、人形?

「この人は天才的な発明をいくつも残していたけど、その中でも特に評判の良かったものがあってね」

 アカルくんは振り返ると、その手に何か二十センチくらいの小さなものを載せている。

「これは、日本製だけどね」

 そう言って、アカルくんがテーブルの上に、ことり、と載せたものは、古ぼけた小さな鳥籠だった。

「鳥籠?」

「さてね」

 それは確かに鳥籠の形をしているのだけれど、中に鳥を入れるには小さすぎて、それでも何か中に小さな鳥がいるようにも見える。

 それだけでなく、黄色い羽をした鳥のすぐ隣、鳥籠の真ん中に目盛りのようなものがついた球体が、ポールのように伸びている。鳥の止まり木にしては変な形だ。

「これは東洋時計、今のオリエント時計が戦前から作っていたもので、戦後になると海外に輸出して、なかなか人気の商品だったんだよ」

「アカルくん、これって……」

「鳥籠時計、って言うんだよ」

 鳥籠、時計……、と私は口の中で繰り返す。

 アカルくんの言葉の通り、鳥籠の中にある止まり木は時計の文字盤の代わりらしく、動いていれば矢印が時間を示してくれるものらしい。

「さっき言ったジャケ・ドローも、本業は時計職人。今でもスイスの時計ブランドの一つとして有名だよ」

 私はアカルくんの言葉に頷きつつ、小さな鳥籠の中で刻まれる時間と、動かない小さな鳥を見つめている。

「こうした形の鳥籠時計は、一般向けの小さなものだけどね、ジャケ・ドローが作った鳥籠時計は、本物の鳥籠と同じサイズで作られていて、その底の所、下から見える位置に時計の盤面があるんだよ」

 底の所に盤面がある、って。

「これは僕が話を聞いて考えただけだから、真実かどうかなんて解らないけど。どうかな、思い返してみて、入谷さんの背後にあったっていう鳥籠は、ちょうど下から見ると時計の役割ができるような、そんな高さに掛っていたんじゃない」

「そういえば、それくらいで」

 そして入谷さんは、鳥籠の方を振り返っては時間を確認して。私はそれがどこかに時計があるものだと思っていたけれど、そうじゃなくて、鳥籠そのものが時計だったとしたら。

「あ、それじゃ――、あのカナリヤは」

「それもね、これと一緒」

 アカルくんは、テーブルの上に置かれた小さな鳥籠時計の中にいる、さらに小さな鳥を指差した。

「動くかな、動かなかったら売り物じゃなくなっちゃう」

 私の視線に追いかけられながら、アカルくんは、鳥籠時計から伸びていたゼンマイに手をやると、きりきりと、壊れないか不安な感じで丁寧にそれを回す。

 アカルくんがそれをテーブルに置き直すと、やがて、チッチッ、と愉快な音を漏らしながら、時計の針が動くのと同期して、中の小さな鳥も体を左右に振り始めた。

「わ、動いた」

 小鳥が米粒を食べるみたいに、小刻みに、リズミカルに、それはきれいな色の尾羽を振りながら時を刻んでいく。

 そして私は、この動きに、あのカナリヤを思い出していた。

「アカルくん、もしかして――」

「そうだね、ジャケ・ドローの鳥籠時計の中にも、実際にさえずる小鳥がいたそうだよ。でもそれは、シンギングバードっていう良くできたオートマタで、動きも機械仕掛けのものなんだよ」

 私は、胸の奥でじくじくと痛んでいたそれが、ゆっくりと溶けていくのを感じる。

 これが、きっと正解なんだ。

 入谷さんは、鳥籠だけが大事で、カナリヤを可愛がってはいない人、なんて訳じゃない。

 あれはペットの鳥に接していたのではなく、ただ飾ってある時計を見遣っていただけなのだ。だからこそ、中の鳥が壊れてしまったか何かして、そこから居なくなってしまっても、困ることは無かったのだろう。

 私は、入谷さんのことを冷たい人のように思っていたことを深く反省する。

 ごめんなさい。

「それにしても」

 と、ここでアカルくんが空気を換えるような一声。

「それだけ立派な鳥籠時計を持っているとしたら、正直その入谷さんが羨ましいかな。見れただけだって、なかなか無いことなんだから、お姉さんはもっと威張っていいよ」

 なんだか、いつもとは違う無邪気な言葉。

 それがきっと、俯いていた私の為に、明るくしてくれてるのだとしたら、すごく、なんだろう、すごく。

「面白い」

「なんで笑うのさ、って、まぁ、いいか」

 ありがとう、アカルくん。

「どういたしまして」

 って、その言葉は私の考えを読んだみたいに、タイミングもばっちりで。

「ねぇ、アカルくん」

 ん、と鼻にかかった返事。

「入谷さんに贈れるような、鳥の置き物とか無いかな」

「もしかして、鳥籠にいれたいから、とか?」

 こくり、と。

 だって、やっぱり寂しいから。

「きれいな鳥籠だったから」

 この辺の私の考えは、人に話すとあんまり理解して貰えないかもしれない。

 閉じ込めておくとかじゃなくて、空を飛べない、私みたいな鳥が住めるように、誰かが作ってくれた鳥籠なら、やっぱり中にはきれいな鳥が居て欲しい。それが時計だったって解った今でも、あれだけきれいな鳥籠には、やっぱりきれいな鳥が居て欲しいから。

「お姉さんの気持ちは、ふふ、伝わるけどね」

 そう言って、アカルくんは自然に笑ってくれる。

「きれいな鳥籠には、きれいな鳥が居て欲しい」

 私がそう言うと、アカルくんは小さく頷いて。

「鳥籠職人の人だってね、最初は綺麗な鳥に負けないように、籠の方を必死に豪華で綺麗なものにしようとしたはずさ。一時期は、それが本末転倒になったりしたけどね」

 冗談めかして、アカルくんが言葉を続ける。

「人は『なにが』贈りたいのかじゃなくて、『なんで』贈りたいのかを考えて、物を形作っていくのさ」

 それは誰かの為に作られた、きれいな鳥籠時計も。

「それが、その贈られた人にとっての正しいモノ――ライトスタッフ――になるんだと、僕は考えているけどね」

 柔らかな、バニラのような甘い香りが、ふうっと、アカルくんの方から漂ってくる。

「だけど、参ったな。ウチにはちょうど良い鳥の置き物とかは、確か無かったような気がするけど」

「これ」

 と、私は手元にずっと置いていた木彫りの鳥を取り出す。

「これ、贈りたい、です」

 それは、私の素直な気持ちだったのだけど。

 なんだかアカルくんは、とても嫌そうな顔を浮かべてしまって。

「だめ」

「ダメ?」

「売り物じゃ、ないから」

 そう言ってアカルくんは、私から木彫りの鳥を取り返そうと、立ち上がって近寄ってくる。対する私は、なんだか渡したくなくて、手を上げて少しだけ抗議。いじわるだ。

「これ、可愛いから、欲しい」

「だめ。可愛くないから」

 変な押し問答。

 アカルくんもさすがに、ぴょんぴょんと跳ねて私から取り返そうとか、そんな子供みたいなことはしてくれなくて、ただ私の前に立って、じいっと渋い顔。

「これ、もしかして大切なもの?」

 その割には埃もかぶってて、私が手を出した時も何も言わなかったけれど。

「違う、けど」

 アカルくん、なんだか恥ずかしそうに顔を背ける。

「図工で、僕が作ったやつだから、売れない」

 え、今なんて?

「アカルくんが、作ったの?」

 聞き返してみると、心底うんざりした表情を作ってみせて、アカルくんは深い溜め息。

「兄さんが、勝手に棚に置いて飾ってたんだよ。片付けるより先にお姉さんが見つけたから……」

 その先の抗議の声は口の中にしまって。

 そんなアカルくんは、呆気に取られた私の隙をついて、ただ一回だけジャンプ。見事に木彫りの鳥を奪取した。

「あー」

「もう仕舞うことにするよ。鳥の置き物なら、それらしいのを探しておくから」

 突き放すように言ってから、アカルくんは木彫りの鳥を両手で包み隠し、アンティークチェアの方へと戻っていく。

「可愛かったのに、ペンギン」

「メジロ」

 ふん、と、ちょっとだけ拗ねたみたいにして、アカルくんは、もうそれ以上は口を聞いてくれなかった。

 うう。

 ごめんなさい。

 

 

 

 それから数日経った頃。

「あら」

「こんにちは」

 私はポーチの白い椅子に座る入谷さんに、大きく頭を下げて挨拶をする。

「今日は、一緒にお茶をしてくれる?」

「はい」

 そう、強く頷いてみせる。

「嬉しいわ。あの子もほら、喜んでる」

 ぴいぴい、ちちち。

 金色の鳥籠の中で、きれいな羽をしたカナリヤが爽やかに歌っている。

「あの……、近くで見ても、良いですか?」

「ええ、どうぞ」

 ポーチの方へと近づいた私は、鳥籠の真下あたりまで来て、それが予想通りの形をしていることに安心した。

「それね、ちょっと前から調子が悪くてね」

 振り返ると、入谷さんが優しく微笑んでいた。

「本当はさっきみたいに鳴くのよ。すごいでしょう」

 はい。

「すごく、きれいです」

 入谷さんは声を上げて笑った。

「病院に診せたのよ」

 と、入谷さんは私の勘違いを覚えていたらしく、茶化してみせてくれた。

「良い先生がいたらしくて、ふふ、ちゃんと直ったのよ」

「それって――」

 私はそこから先を聞くのをやめた。

 聞いてしまえば簡単な答えだろうけど、ほんの少しでも自分で考える余地を残しておきたい。できるなら、愉快な想像がいいな。

 例えば、自分が作った木彫りの鳥を、鳥籠にいれたくないような誰かさんが、腕の良い修理屋さんを紹介した、とか。

 私は笑っていたのかもしれない。

「待っててね、今、お茶を淹れるから」

 そう言って席を立っていった入谷さんも、楽しそうに笑っていてくれたから。

 君は幸せものだ。

 ぴいぴい、ちちち。

 金ぴかの籠の中の彼に、私は語りかける。

 鳥籠の中に、自由と愛が無いなんてことはないよ。君はこんなに思われていたじゃない。

 ちちち。

 緩やかに刻みつける時間の中で、彼はそれと一緒になっていつまでも体を揺らしてさえずっていた。

 

 

〈了〉

 

 

 

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