――事件開始、十年前――

 

「ソアラ第一王女生誕! ソアラ第一王女生誕!」

 国の祝辞を告げる甲高い声の和は、いつまでも止まることがなかった。輿が運ばれ、楽隊が行進し、国を挙げたパレードが催された。一時の憂さ晴らしに人々は熱狂した。

 リューガル王、アレス八世の御子が誕生。この報は国中を挙げて祝福された。第三王妃アンデラとの間に産まれた子であったが、齢四十を迎えてなお子の居なかったアレス八世待望の跡継ぎであった。王都を花と金銀とが埋め尽くし、尽きつつある国庫をはたいて贅が尽くされた。この不足を補うために、王女生誕祝として祝儀という名の税が課され、厳しい取り立てがなされた。

 王都をぐるりと回る最も盛大な輿、国王アレス八世と王女ソアラを戴く馬車が、膝立ちで平伏する騎士達の前を通り過ぎた。国王が右手を一振りして尊大な許可を示してみせ、騎士達は顔を上げる栄誉を得た。そして、父の手に抱かれて不服そうに唇を尖らせている赤子の、その愛らしい御姿を網膜に焼き付けた。

「よいか、ウィンザック。お前はあの御方とこの国とに忠誠を尽くすのだ」

 父、メルツェールの岩の如く厳めしい顔に、一筋の涙が流れた。断崖を伝うささやかな滝のようだった。それは、ウィンザックが生まれて初めて見た父の涙であった。

「はい、父上」

 その後ろで平伏しながら、息子ウィンザックは力強く頷いた。額が石畳に勢い良くぶつかり、血の滴を垂れた。

 日輪の君、ソアラ第一王女誕生。その生誕を記念し、彼女のためだけの騎士団が結成された。その名は親衛騎士団、向日葵の黄色。諸侯や貴族の長子達だけで構成される彼らは、第一王女に従う最大の栄誉を与えられたエリート騎士団となった。太陽の王女と呼ばれたソアラ王女は、長らく王位継承権一位の姫君として君臨することになる。

 

 

――事件開始、二年前――

 

「どうして! どうして! どうして! どうして!」

 第一王女ソアラは、手当たり次第に辺りの家具を破壊した。それには効率が必要だった。燭台と本を何度もぶつけて棚や机を破壊し、シャンデリアを落とし、ガラスの切れ味で絨毯を引き裂く。彫刻を砕き、絵画を破り、椅子の足を曲げ、絢爛を極める室内を見る影もなく壊していく。それは激情に任せた暴力ではあったが、冷静な狂気も備えていた。小娘の力で最大限にこの部屋を破壊するために、王女は意識的に最善の方法を選んでいた。

「姫」

 鉄面皮の侍女が硬質な声を上げる。一切の感情のこもらない声は、しかし聞くものの解釈次第で如何様にも聞こえる。震えて見守る掃除婦には控えめな制止に。怒り狂う王女には、愛の含まれた諭しに。

「どうしてよ、アン……」

 血まみれの手が哀怒に震える。アンと呼ばれた侍女は主に何も言わず、視線すら向けずにただ立ち尽くしていた。ソアラにはそれが嬉しかった。

 日輪の御子、アレアス第一王子誕生。第一王妃アリアとの間に産まれた待望の男子は、八年前の倍の規模でその誕生を祝われた。腹違いの姉、王位継承権二位の第一王女、向日葵の君ソアラは、愛しき異母弟の誕生をいつまでも呪い続けた。

 

 

――事件開始、二ヶ月前――

 

「……おめでとう。これにて貴君らは母なるメルエの祝福を受け、今この記念すべき時より我らがリューガルの誉れ高き騎士となった」

 神父が定型句を読み終えた。型通りの叙勲式が終わり、跪いた若き従士達が面を上げた。教会の鐘が厳かに鳴り響いた。

 この季の騎士叙任式では、九人の男達が騎士の資格を与えられた。もっとも、当世では金か地位さえあれば身分上の騎士になることは容易い。列席者の中にも、仮装めいて装飾過多な鎧に身を包む小太りの中年が混じっていた。きちんと小姓として下積みと訓練を経て騎士になるなどと昔の話だ。

 リューガル騎士団が武名を馳せたのも今は昔だ。封建制の成熟は権力者を際限無く肥やし続けるだけで、あっさりと腐敗と停滞を迎えた。名家の勇猛なる騎士達は、長き太平の内に肥えた遊蕩貴族と変わった。有事には他国の傭兵を雇って戦わせれば王家への忠誠は果たしたと見なされ、過酷な修行で自らを鍛え上げる必要は無いという風潮が蔓延った。近年では軍隊の質そのものでも、正々堂々たる騎士達よりも隣国セレネラの現実主義的な重槍傭兵隊の方が余程頼れるものとなっていた。戦争と兵装の変化の前に、騎士道は幻想と成り果てた。

「よし諸君、退屈極まる滑稽な儀式はこれにて終わりだ!」

 皮肉たっぷりの仰々しい声が一声上がると、それに同調のげらげら笑いが続いた。

「これで俺達も騎士様だ。早速酒場で祝杯を上げようではないか!」

 調子の良い若造がふさふさとした羽飾りを振るう。彼もまた名家の長子だ。数人の提灯持ちが次々に立ち上がり下品な歓声を上げる。新米騎士達は薄汚れた教会で大声で馬鹿騒ぎを始めた。これが現代の騎士の姿だ。夜毎の宴会や社交に精を出し、農民の血税を浪費することに余念が無い愚かな特権者達。父祖の名誉を食い潰し、己が権益を守ることだけに血道を上げる業突く張り。老いた神父は嘆かわしげに鼻を鳴らした。

「……ちなみに、叙勲を受けた騎士諸君には、王城より召し抱えのお声がある。向日葵の君ソアラ第一王女の傍にお仕え出来るという栄誉ある仕事だが……」

「ヒマワリだあ? ハハハッ、あんな落ちこぼれ騎士団に誰が入りたいって言うんだよ。クソ食らえ!」

 半ば義務的に話をする神父に、礼儀知らずな騎士の罵声が浴びせられた。取り巻きが声を合わせて笑う。

「仕事は無い、給料も安い、それでも頑張ってやっと王女様の近衛に選ばれたら、そのソアラ様自身にイビられてやめさせられるって言うじゃねえか。ばかばかしいぜ、誰があんな娼婦の下で働くかってんだ」

 その声には、嘲りに混ざって純然たる怒りの色も含まれていた。貴族達はそのまま罵詈雑言を並べて教会を後にした。

 親衛騎士団向日葵の黄色。ソアラ王女の誕生と共に組織され、アレアス王子の誕生と共に廃れたこの騎士団は、常に人数不足に喘いでいた。こんな教会にも斡旋の要請が来るほど煮詰まっているにも関わらず、給金の安さと先行きの無さから若者に閑職扱いされていた。もはや国に余った土地も争いも無く、騎士が武勇と特権を発揮する時代は既に終わっていた。騎士は職業の一つに過ぎず、どう稼いで生きるかを個々自身が考えなければならない時代となったのだ。名誉や腕力で腹は膨れない。

「……どうした、君達。早く帰りたまえ」

 項垂れる神父が、跪いたままの二人の騎士に声をかけた。大方、式典の最中にそのまま居眠りをしているのだろうと推測した。神父の目は不審と絶望に濁っていた。

 二人の騎士が、すっくと立って面を上げた。ぴんと背を張った二人の若者は、全く正反対の格好をし、全く正反対の色の光を目に宿していた。

「神父殿。私エルネルド・ブラウンフォウドは向日葵の黄色騎士団に入隊を希望致します」

 一人は如何にも当世的な、騎士とは名ばかりといった風情の伊達男だった。目には脂ぎった野心の光を宿し、神父の心に不安を呼び起こした。

「私、ウィンザック・バルツァーも、同じく向日葵の黄色騎士団への入隊を希望致します」

 一人は幾時代も遡ったかのような、誇り高きリューガル騎士そのものの銀の鎧甲冑姿だ。目には烈しい忠誠の光を灯し、神父に熱き信仰心を思い出させた。

 陰と陽、水と油のように正反対の二人の男が、共にソアラ王女の親衛騎士団に入団を希望した。神父は何らかの啓示を見出すかのように頷き、そして問うた。

「ならば、エルネルド・ブラウンフォウド。ウィンザック・バルツァー。両名に問う。なぜ貴君らは向日葵の黄色への入隊を望む?」

 二人は同時に同じ言葉を答えた。違う色の目を光らせて。

「ソアラ王女こそ私が仕えるべき主だからです」

 静まり返った教会に、ぴったりと重なった声が響き渡った。一人は王女を利用するために、一人は王女に献身するために。こうして、エルネルドとウィンザックは向日葵の黄色へ入団した。未来無きヒマワリの騎士団へ。

 

 

――事件開始、十分前――

 

「退屈だ。死ね」

 エルネルドの張り付いた笑顔に冷や汗が流れた。冗談や罵倒で仄めかす死ではない。生まれ持った血と権力から振りかざされるその言葉は、脅しの響きすら持たずに冷酷に死を命じた。

 見目麗しき純白に身を包んだ王女の瞳には、どこまでも広がる闇だけがあった。天から与えられた美貌が、天から奪われた王位のためにその輝きをくすませている。若干十歳の御体はエルネルドの腰にも届かないほどだったが、今は縮こまって土下座する騎士を王女の蒼い瞳が見下していた。

「お、恐れながら申し上げます。私めの魂と五体は、この国と国王陛下に捧げたものにございます。いかに王女殿下のご命令とあれど」

「ほう。先刻はわらわに全てを捧げるとほざいた口が良く言う。舌が二枚あるのか? 片方は要らんだろう。ここで抜いてやる」

 暴威を漲らせて王女は続ける。その目には何の感情も籠っていない。エルネルドは自分の口の軽さを呪いながら平身低頭した。今日初めて会った少女に、エルネルドは土下座して許しを乞うていた。

「も、申し訳ありません! 愚鈍故の言い間違えにございます。平に、平にご容赦を」

「もうよい。下郎、こいつの良く回る舌を引き抜け」

 後ろで控えていたウィンザックにも無理難題が投げられた。エルネルドの何気ないごますりから始まったこの地獄は、白昼の街中で人々の注目を引くには十分に破廉恥で退廃的であった。親衛騎士団、向日葵の黄色が常に人材不足である理由の一つがこれだ。権力を失った暴君が、それでも擦り寄ってくる臣下を虫けらのように踏み潰して遊ぶ。ソアラ王女の非人間的な暇潰しは、目を覆いたくなるほど醜悪な一方で、群集の下卑た好奇心を実に良く満たした。一応は騎士の立場にいる大の男達が、王位を追われた哀れな王女に身も心も壊されるまで暴虐を尽くされるのだ。これが刺激的でないわけがなかった。

「どうした、抜け。従わないならば死ね」

「エルネルドの舌は二枚ございません。片方だけを抜くことは無理と存じます」

 ウィンザックの諫言に、この忠誠の塊のような鎧の男の反抗に、最も驚いたのは土下座するエルネルドであった。次いで野次馬にもどよめきが広まった。癇癪が収まるまで適当に頭を下げているつもりだったエルネルドは、不吉な予感と相方の出しゃばりに冷や汗を垂らした。面頬を上げ、風に晒されたウィンザックの無表情は微動だにしていない。

「故に、自死させていただきたく存じます」

 鎧が軋み、剣が鞘走る音が続く。ウィンザックは己の無骨な剣を躊躇いなく自らの鼻先にあてがった。

「待て」

 命令通り、剣を持った腕は止まった。鼻の頭にぷくりと血の泡が膨らんだ。王女の制止が無ければ、ウィンザックはそのまま剣を顔面に突き立てたであろう。目を血走らせて剣を握るウィンザックを、ソアラ王女は不快そうに見つめていた。

「傀儡め。そなたは死ねと言われれば死ぬのだな」

「主命なれば」

「ふん、興が削がれた。行くぞ」

 興味を失ってすたすたと歩き出した王女の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。エルネルドは動悸する心臓を抑えながら立ち上がり、主に続いた。ウィンザックも剣を鞘に納めて歩き出した。道を塞ぐ人垣が、王女から逃げ出すかのように二つに断ち分かれた。

 幼き暴君はわずかな護衛だけを連れ、自分の足でずかずかと王都を歩いて回る。人々は見て見ぬふりをしながら、彼女の残虐さを舌なめずりして目で追っている。それがソアラ・リューガルの日常であった。

 弟に王位を奪われたその日から、王女の周囲の全ては手の平を返した。行く行くは政略結婚の材料となるのが関の山である彼女に付き従うものはおらず、迂闊に接近すれば政敵と見なされる恐れまである。まともな神経の持ち主は王位継承権一位のアレアス王子の側に付き、ソアラ王女の存在はもはや無かったことのように扱われている。

「どうした、囀りが止まっているぞ。もっと鳴け」

「申し訳ありません、王女殿下の慈悲溢れるお沙汰に感動するあまり言葉を忘れておりました。失礼の段、お許し下さり恐悦至極にございます」

「……二度と殿下などと呼んでみよ。首から上を外して仕えさせてやるわ」

「は、はっ!」

 それでも王女に近寄って来るのは、どうにかして彼女を踏み台にのし上がろうという愚かな野心家と、真に王家に忠誠を誓っているような馬鹿者だけだ。そうした連中を玩具にするぐらいしか、ソアラに残された楽しみは無かった。

 危険な行楽は続き、しばらくはエルネルドのおべんちゃらが沈黙を埋めていた。前の護衛がついに任を辞し、エルネルドとウィンザックにお鉢が回ってまだ最初の外出だった。さすがの王女も新品の玩具をすぐに壊すことはなかった。ここまではエルネルドの計算通りと言ったところだ。

 揉み手して愛想を浮かべる裏でエルネルドはほくそ笑んでいた。王女に直に面して付き合わされるのは初めてとはいえ、エルネルドはこの機会をずっと待っていたのだ。そこまで王女に破壊衝動が溜まっていないことと、ウィンザックの愚直さが機嫌を取ってくれるであろうことも皮算用の内であった。

「変わり映えのしない道だ。飽いた」

 大通りを適当に練り歩いた王女は、気まぐれに路地を曲がった。途端に石畳は汚く、街並びは醜く、人々の姿は見すぼらしくなる。絢爛な王都が、一本折れるだけで薄汚れた本性を見せる。それは、一部の貴族と富豪のためだけに虚飾を重ねるこの国の在り様にも似ていた。

「王女、このようなところは見苦しい輩がおりますが……」

「わらわが口を挟めと言ったか?」

 向けられた水をぴしゃりと拒絶すると、王女はずんずんと路地に切り込んでいく。エルネルドは笑いを堪えるのに必死だった。指だけで振り向かずに合図を飛ばす。ゆっくりと後ろから尾行して来ていたごろつき達が、合図を受けて二手に別れる。エルネルドが金で雇ったごろつき連中だ。路地を先回りして挟み撃ち、一行を襲うフリをする手筈となっている。

 女は食い物にするもので、顎で使われて仕えるものでは断じて無い。向日葵の王女ソアラ・リューガル。エルネルドが騎士になり、閑職のヒマワリ騎士団にわざわざ入団したのはこの高貴なる王女に近付くためであった。まずは古典的な自作自演だが、これから襲い来るならず者を華麗に追い払い、一介の護衛から王女を守った勇士となる。それを皮切りにあらゆる手を尽くして好感を得、取り入り、篭絡する。権力を失った向日葵の王女を、己が野心の踏み台にする。エルネルド・ブラウンフォウドの華々しき成功の階段は、今そこにその一段目を見せていた。

 王女はいつものようにつまらなそうに歩を進め、二人の護衛は影のように従った。腹に一物抱えたエルネルドが口を慎むと、一行はいよいよ無言となった。ウィンザックは問われなければ決して言葉を発さない。

「王とは、何だと思う」

 しばらく歩いた頃、ソアラが唐突に言った。その言葉は、天からの声のように荘厳に響いた。横暴と捨て鉢に歪められていた威厳が、元来の王家の素養が、混じり気無しの純粋な表出となって溢れ出たかのようだった。

「王とは」

 答えを待たずにソアラは続ける。その問いは何度も王女自身の中で成されたものなのであろう。そして、その答えは彼女の中に既にあった。

「王とは、他人に与えられる称号ではない。誰かから与えられるものではない。我が父祖は、一介の騎士から戦で国を興した。暴力で敵を殺し、恐怖で味方を脅し、他人の物を奪って屈服させ、自分の物を恵んで従えた。王は最初から王だったのではない。自分の力をもってして、王へと成り上がったのだ」

 ソアラ王女が、ゆっくりと振り返った。地を擦るスカートの裾は泥に塗れ、乱暴に歩いた靴は履き潰され、身を包むドレスは皺に歪んで寄れている。だが、その気品は紛れもなく魂の内から発せられるものであり、色の無い輝きが差しているかの如く錯覚を騎士達に与えた。

 エルネルドは得体の知れない焦りにかられた。急に歩みを止めた王女に、抽象的な問答に、その凄まじき神聖さに。たかが放蕩者の馬鹿娘だと軽んじていた王女に感じる、跪きたくなるような衝動に。

 王女の指先が霊性を伴って動き、エルネルドとウィンザックの後ろの空間を指差した。二人の騎士は熱に浮かされるように背後を振り返った。

「わらわは、自らの力で王となる」

 その声が、聖句のように沈黙の路地に響き渡る。それを合図にしたかのように、頭上から人影が落ちた。

 王女の指が示した先には、何も無かった。

 

 

 

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